「忍 路」

 

1初体験

 

11時30分ごろであったか、私は随分緊張して改札を通った。
私の悲しむべき習性は、最初からハプニングを起こしていた。
しっかりしていなければという思いがそうさせるのだったが、反省しても反省しても直しようのない私の姿であり、それが私の私自身であった。
全日空772便は今ようやく離陸し、北の空に向って旋回している。私の体は機体とともに丸く拡がっていく。しかし私の動悸はまだ、ここに至るまでの直前の過去からやってきているのだ。
その私の騒がしい動性は実に私をよく表し、この物語の最初に語らねばならないことに複雑な思いを募らせるばかりである。

私は悠然としていなければと自分に言い聞かせ、キュッとブレザーの襟を引き締めて空港のロビーに向った。
 それでもその空間は私の想像を超えて広がり、私を驚かせ、拒もうとするかのように威圧的で、ただ広かった。
 私は戸惑い、心のすがる場所を見つけられずに、最初からこの胸を騒然とさせていた。
 そんな心を誰かに見られているかのように思い、それを隠そうとして、私はわざとゆっくり歩き、平然と構えていた。
 1階に搭乗手続と表示したカウンターがあり、ホッとして私は内ポケットからチィケットを抜き出し、一分の隙もなくそれをカウンターに差し出した。その姿はきっと映画の一画面のように決まっていると思いながら。私はここで搭乗のための手続きが済むのだと思っていた。
 かつて里依子がここから千歳に発ったとき、このロビーのカウンターで受付を済ませている彼女の姿に見とれていたのだ。
 あるいはそれよりも数日前に、里依子をこの空港に出迎えたとき、その出口に大きく半円を描いて流れるコンベアーがあって、バッグや紙包みなどの荷物が届けられていた。
 その周辺に立った人たちが、自分の荷物がやってくるのを待ちわびるように手を伸ばして取り上げ、胸を張って出て行くのを目にした私は、乗客の手荷物はこうして運ばれるのだと思った。それはいかにも飛行機という高級な乗り物にふさわしいシステムだった。そしてその一団から輝くように里依子が現れたのだ。
 そしてそれだけが、私の空港に関する知識のすべてだった。

物知り顔でカウンターにチケットを示すと、意外な返事が返ってきた。
「これは二階改札に入っていただきまして、25番ゲートで搭乗手続きをして下さい。」
 その声はとても上品な響きがして、二十歳代の明眸な係員によく合っていた。
しかし私はそれどころではなく、二つしかない空港の知識の片方をいとも簡単に覆されたことにうろたえた。
カウンター越しに受けた案内をああそうですかと答えたものの、説明された内容を、ことさら肝心な所を、そこから歩み去って後、どうしても思い出すことが出来なかった。
 私は目の前にある広い階段を不安を抱えて上っていった。その2階ロビーにはどこを見渡しても25番ゲートらしき入り口は見当たらなかった。広いロビーに立ってどう見回しても、他の番号をつけられた入り口さえ見つけられず、ただ一箇所中央に何の表示もない入り口が開いているばかりだった。
 私はそこに入っていくことに戸惑いを覚え、なす術もなくさまようしかなかった。

やがてどうすることも出来ず、私は勇気を奮って2階ロビーにある案内のカウンターに近づいた。私が随分上ずった調子で聞いたのだろう、係員はにこやかにではあったが、二度同じことを繰り返して説明した。
 中央の改札でチィケットを見せて入場すること。
 入場すればもう出られないこと。
 改札を入って25番ゲートに行き、そこで搭乗手続きをすること。
 ありがとうと言ってカウンターを離れた私が知りえたのはそれだけであった。まだ時間は充分にあった。説明を受けた中央改札はすぐ向こうに見えていた。私は少落ち着きを取り戻した。
 横合いにトイレがあった。スマートなアルファーベット表示の下に男女を表す白いプレートが貼られている。すべてが不案内の中でそのことだけがはっきりと理解できて、なんだか外国で邦人と遭遇したときのような安堵と懐かしさを覚えた。
私は自分に余裕のあるところを見せようと思い、出来るだけゆっくりとした足取りでトイレに入った。その動作は私の意識に中につまびらかにあって、私は自身が演者でありながら同時にそれを観るものとして、動かす指先のその先端まで見ているのだった。
 トイレの中はごみ一つなく、必要以上に磨き込まれた室内に清楚な便器が並んでいた。私は心までも清められてしまいそうなトイレをこれまでに見たことがなかった。便器の前で用を足すのにふと罪悪感を覚えさせるようなそんな白さが私を戸惑わせるのだ。それはたとえば、王侯貴族の部屋に立たされ時に感じるだろう気後れに違いなっかった。 
 落ち着かない気持ちのままそこを出て、私は中央改札に向った。
 チィケットを示すと、入り口に立った係官は表情を変えずに一瞥しただけで私を通した。

改札を通ると、私の前にも後ろにも列が出来ていた。自然に順番を待つことになったのだが、見ると前のものは順番に手荷物を取られて腰の高さのベルトコンベアーに乗せられていた。
 その様々な荷物達はまっすぐに進んで、魚の口が開いたような穴の中に次々と吸い込まれていった。
 その光景は私の頭の中で、里依子を待ったあの到着ロビーの、ベルトコンベアーを流れていく荷物達としっかりつながるのだった。
「ここで渡すのか。」私は心の中で大声を上げて合点した。そう理解すると、私はつい身構えてはやる心と気負いを覚えた。
 私は自分の番がやってくると、弾かれたように荷物を係員に差し出した。係員は無造作にそれをベルトコンベアーの上に乗せた。
 緊張してそこを通り抜けると、今度は突然すぐ目の前に制服の男が現れた。男は
「ボディチェックです。」と言ったかと思うと、すぐに私に手を伸ばしてきた。
 びっくりしたものの、私はその言葉を聞いて咄嗟にその状況を理解した。
 私には不測の事態にあっても、一つのきっかけさえあれば俊敏に判断を下す能力があった。つまり私はその瞬時に、度重なるハイジャック事件のことを思いお越し、それは未然に防がなければならないと考え、更に西部劇で保安官が悪人にピストルを突きつけてボディチェックをする場面を思い出したのだった。
 それは私の刹那の理解であり、係官がボディチェックですといい終わるや終わらないうちに私は、自分の両手を高々と持ち上げたのである。

そのとき私の胸には、どうだ、俺は悪い人間ではないだろうという驕慢な昂ぶりがやってきていた。そしてそれを誇示するためにわざと体を大きく開き、左右にねじってブレザーの背中の間にまで係官の手を誘い込んだ。
 チェックが済むと。私は25番ゲートを探した。そしてそのゲートの表示はすぐに目の中に飛び込んできた。私はようやく確信と安心を得て、うまくやれたという思いを乗せて闊歩してゲートに向うのだった。私は自分がとてもいい格好で歩いていると思いながら。
 ところがふと、手荷物のことが気にかかってきた。私は改札を通過するわずか数分の間を、ボディチェックがそうであったように、ほとんど直感的に判断していた。入り口で荷物をベルトコンベアーに載せられて、それがトンネルに入っていくと、咄嗟にこの荷物は搭乗口まで運ばれて行くのだと思い込んだ。搭乗口にはかつて到着ロビーで見たような円形のコンベアーがあって、そこで荷物を取ればいいと思ったのである。

「改札は一つだった。コンベアーも一つだった。しかし中に入るとゲートはたくさんあって、しかもそれぞれが遠く離れている。こんな状態でどうして荷物が各ゲートに届けられるのだろう。
 しかも荷物を渡すとき、これが私の荷物であり、この私が25番ゲートに向う乗客だというような確認は一切なかった。そもそもこの私が誰であるかさえわかっていないはずではないか。
 するとどうして私の荷物が25番ゲートに届くのだろう。改札を抜けると人々は思い思いのゲートに向って散っていく。その旅客の一人ひとりにその人の荷物を確実にその人に行くゲートに届けられるなど不可能ではないのか。空港には私のまだ知らない高度なシステムが働いているのだろうか。」
 私は気味の悪い不安を抱きながら様々に思い巡らせはしたが、コンベアーから直感的につながった到着ロビーの光景から来る思い込みに対しては一抹の疑問も持たないのだった。そしてただ辻褄の合わない思考の切れ端をつなぎ合わせようと躍起になっていた。

 浮かんでくる思いを様々に詮索しながら長い25番ゲートへの通路を歩いた。すると前から、紺色の制服を着た女性が片手に書類を抱えて初々しさを漂わせながら闊歩してやってきた。私達は自然にすれ違ったのだが、そのとき彼女は私を見て奇妙な顔をしたのだ。私は怪訝に思った。
 彼女は何か滑稽なものでも見るような眼差しで私を見、その視線が一瞬私の下半身に向けられたように思えた。誘われるように私は自分の下半身に目をやった。
 その瞬間私は自分の頬が炭火のようにほてるのを感じた。私のズボンは、前のチャックが大きく開かれて、そこからシャツの裾がはみ出しているのだ。
 あのトイレからだ、そう思い至ると、改札を通り抜けたときもボディチェックを受けたときもズボンのチャックが開いたままだったことに気付かされる。 
 全身がカーッとなって恥ずかしさが押し寄せてきた。私は咄嗟に自分をごまかすように笑い、憐れな格好をしてチャックを上げた。
 女性は一瞬笑ったように見えたが、うろたえる私に無関心を装い振り返りもせず歩み去った。
 それでも私は、自分の憐れな姿を見てどうすることも出来ずに、うわの空になって歩くしかなかった。それから先25番ゲートにどのようにして着いたのか思い出すことさえ出来ないのだ。

25番ゲートは一番奥まったところで、改札を通って随分時間を要したように思えた。自分の肩に力が入っているのを意識しながら、カウンターで搭乗手続きを済ませた。それは今までの苦労を考えればあまりにも簡素であっけないもので、私はチィケットの代わりに渡された搭乗券を拍子抜けしたように受け取った。

 私は搭乗開始までの間、ベンチに腰を下ろして待つことに決めたが、次第に浮き立ってくる気持ちを抑えるように手に持ったスケッチブックを開いた。しかしスケッチを楽しむことなど出来る余裕もなく、目前の初体験に対する不安が頭の中に様々な形で浮かんできた。
 そのうちに再び手荷物のことが気にかかり始めた。荷物はどこにいったのだろう。どうやって受け取ればいいのだろうか。荷物はこの待合のロビーのどこかに届いているはずだったが、そんな所がありそうな場所はなかった。するとすでに飛行機の中に運びこまれていて、目的地の千歳空港の到着ロビー受け取るのかも知れない。いくら考えても経験のない頭の中からは答えが出るはずもなかった。
 にもかかわらず私はそれを誰かに聞くのが恥ずかしいことのように思い最後まで自分で解決しようとキョロキョロ頭を動かすのだ。

やがて搭乗開始のアナウンスが流れ、772便に搭乗する人々がゲートの前に列を作り始めた。その行列を見て私の煮え切らない心が一気に危機感に染まったのである。
 これはおかしい!!荷物のことだった。直感的にそう思った。
 列をつくっている人々の誰もが皆荷物を携えているのだ。どこかに荷物を受け取るところがある!!そうでなければ彼らがそれを持っているはずはないのである。
 もはや見栄も何も言っていられなくなり、顔面に多量の血が噴きあがってくるのを覚えた。
 私はカウンターに近寄り、確かめようとした。カウンターには3人の係員が立っていたが、皆てきぱきと働いており、声をかけようとするタイミングがなかなかつかめない。右の係員に質問している客が去るのを待っていると、左の係員がフリーになった。私は急いで左の方に体を向ける。声をかける一瞬のためらいが次の客を呼び込んで、左の係員は私のことなど気付きもせずにその客と話し始める。諦めて右の係員を見ると、もう別の客と話している。3人目の係員は私に背を向けて向こうに立っている。
 私は待ちきれずに、結局一番遠い係員に声をかけた。
「あの、荷物はどこで受け取るんでしょうか?入り口で取られたのですが・・・」

「はァ?」係員は耳慣れないことを聞いたような顔をして、カウンター内を窮屈そうに通って私の方にやってきた。
 私はすがる思いで事の一部始終をその係員に話し、荷物の受け取り場所を重ねて尋ねた。
 「ああ、あそこ検査だけですから、すぐに取りに行ってください。まだそこにあるはずですわ。」係員は少し驚いた顔をし、気の毒そうな声で答えた。
 「ええっ!!そうですか。」私は大声を上げた。その声は心の中の声だったのか口から出た声なのか自分でもよくわからなかったが、その一瞬で私の疑問は一気に解決したのだ。言われて見れば当たり前のことだ。私は全身が恥色のペンキを頭からかぶせられたようになった。
 ほとんどの乗客が搭乗を済ませてしまっていた。私はいまや、直進行動しか出来ない機械のようになっていた。
 荷物を取りに行かねばならない。しかも改札まで一番遠い搭乗口から。間に合うのか。私の頭の中はもうそれだけしかなかった。
 手には搭乗券を持っていた。脇にはスケッチブックを抱えて。

私はうろたえて小走りに改札に向った。自分の愚かさと、時間がないという焦りの他は何も見えなかった。
 通路を中程まで行くと、手に持っていた筈の搭乗券がない!! 
 えぇっ!!どうしてぇ??
 私はなすすべを失った。まるで自分の尻尾を追いかける猫のように、その場に立ち尽くしてあらゆるポケットの中をまさぐった。そしてくるくるあたりを見回すのだった。どこに落としたのか、確かに数分前にこの手に握っていた搭乗券が消えたのだ。
 そんなバカな!!私は何度も声に出していた。探しに戻る時間さえないのではないか。私はもうどうしていいのか分からなかった。所在無くただ無意味に何度もポケットを探る姿は滑稽を通り過ぎていて、私はそんな自分をどこかで悲しく見つめるのだった。
 そのうちに、ようやくスケッチブックに挟んでいる搭乗券に気付いた。私はほんの数分前に自分でそうしておいたことを忘れているのだった。あるいは荷物のことに頭が一杯で、他の事は意識にものぼってこなかったのだ。
 しかし自己嫌悪に胸を痛めて立ち止まる時間はなかった。ホッとした心をバネにして、私は先を急いだ。今度はしっかりと念を押すように搭乗券を胸ポケットに入れて、それでも心配になって何度もポケットを確認しながら

すっかり余裕を失った私は、改札に立っている係官を見つけると、まるで仇に出会ったかのように口から先に飛び出した。
 必要以上に私がやってきた理由を身振りとともに伝えると、係官は荷物を置いている場所に私を連れて行った。見慣れた私のナップザックがいくつかの荷物とともに台の上に並べられていた。
 私と同じような者が何人もいるなどと考える余裕もなく、私はわけもなく愛おしいもののようにそのナップザックを指差した。
 「中に何が入っていますか?」係官は私のナップザックを手にとって訊いた。そして機械的に私の荷物をあけた。
 私は咄嗟に、その荷物が私のものであるかどうか確認しているのだと理解した。そう思い至るともう私は自分を止めることが出来なかった。
 私はそのナップザックがいかに自分のものであるかを証明しようとして、その証拠を細にいって説明し始めた。
 係官はあっけに取られたような顔をした。しかし私はお構いなしだった。そのとき私は決定的な証拠を思いついたのだ。ナップザックの中には伊藤整の詩集を忍ばせていた。そしてその詩に甚く感動した私が、伊藤整の生地を尋ねる旅に出るのだと説明し、伊藤整の詩の一節を朗じてみせた。里依子のことは伏せておく理性の残っていることを脳裏の片すみに感じながら。

係官がうんざりした顔で荷物を引き渡してくれる間際にも、私は伊藤整の詩集について話し続けていた。たわいない事柄を口走りながら、自分が余計なことを喋っていることに気付いた。しかしそう気付きながら、私は自分の中からつき上がって来る衝動をどうすることも出来ないのだった。
 ナップザックを受け取るとき、私は手に持っていたスケッチブックを机の上に置いていた。するとそれを見た係官は、すかさず私のスケッチブックを取って私に差し出した。黙ってそれを受け取りながら、係官が私に対して抱いている思いを痛切に感じないわけにはいかなかった。彼の目にはうろたえて憐れな私の姿が映っているに違いなかった。私は自分の惨めさをそんなふうに見て縮みあがっていた。
 私は逃げるようにその場を離れた。そのとき係官が私に何か言ったようだったが、それに耳を向ける余裕さえなかった。
 私は時間の迫ったゲートに向った。すでにあたりを見回す気力も注意力もなく、それからどのようにして畿内にたどり着いたのかほとんど思い出すことが出来ない。ただゲートの入り口を駆け込む自分の姿だけが意識に残った。

ようやく落ち着いた機内の座席で、私の心は愚かしい自分の姿を何度も思い返して恥じ入るばかりだった。
 客室乗務員の笑みを含んだ視線に出会うと、そんな私の内面を見られているようで、私はいつまでも下ばかりを見つめていた。
 そんな私に対して、窮屈な機内で誰もが皆寡黙に座っているのは、ありがたいことだった。
 私の心も機内の特殊な雰囲気の中で、に少しずつ癒されていった。 
 こうして初体験の飛行機は飛び立ったのだった。

 

 

2       千 歳

 

昂ぶった私の心は、機内の単調な空気に触れて、やがて落ち着きを取り戻した。
 雲海が力強く盛り上がり、機がかすめるたびにそれは霧となってすばやく流れた。突然視界が真っ白な世界に消えた。
 雲の中に入ったのだ。それは実に当たり前のことであったが、なにやら不思議に思われて私は長い間ただ白いばかりの窓を眺め続けた。
 あるいはまた、雲の切れ目から青い海が見えた。白い航跡を長く引いてその先に舟が見えた。するとそれは、地上から眺める飛行機雲のように思えて、天と地が頭の中で混乱するのだった。陸地が見え、町が箱庭のように見えた。
 そのときだった、突然空を飛んでいるのだという強い確信が芽生え、同時にそれが信じがたいもののようにも思えて、心が振り子のようにうごめき始めたのは。

機内の私と地上の町、その間に何の支えもないという想像は心に奇妙な泡立ちを覚えさせた。
 糸のような道路の上を車と思える点が移動している、誰が運転しているのか分からないけれども、しかしそこでは疑いようもない日常が動いているに違いない。神がいるならこのように人を眺めているのだろうか。それなら私は、その資格もないのに神の座にすわらされてこのように落ち着かないのかも知れない。
 思考が色々に働き、やがて頼りとする飛行機に対して身を預けることに思いが至るのだった。その思いが始めて私の心に安心を与えた。神の意思に身を任せる。すると硬い座席が私をすくい取る神の手のようにも思えるのだった。
 大げさな空想を勝手に広げているうちに、機はもう千歳の上空だった。

千歳は私の想像とは違って、雪が少ないと思った。
至る所に黒い土が顔を見せ、道はぬかるんでいた。
 それでも地上の空気は凛と張り詰め、その冷気が私の頬を引き締めた。私は里依子の面影を胸に、表皮よりも心に緊張を覚えながらロビーに掲示された空港の案内板を眺めたりしていた。
 鈴の音のような声が私の名を呼んだ。振り返るとそこに里依子が立っていた。
 彼女は仕事を抜け出して来たのだろう、体によく合った紺色の制服姿をしていた。それは私の思い描いた里依子とは少し違っていて、身の引き締まる思いを抱かせた。
 ふと私は、里依子は少しやせたのではないかと思った。あるいはそれは身を包んだ制服のせいなのかも知れないと思い直したりしていると、里依子は笑いかけて大事そうに抱えていた一通の封筒を私に差し出した。

これをといって与えられた封筒はまだ里依子の温かさが残っていた。
 その中には何枚かの紙片が入っており、それはホテルの補助券であったり、コーヒー券であったりして、私の日程に合わせた枚数がそろえられていた。 
 昨夜だった。思い立ってそちらに行くと、随分無作法な電話をした。里依子は電話の向こうで驚いたようだったが、宿は決めていないと言った私の言葉に対する、それは里依子の思いやりに違いなかった。
 私はありがたく受け取り、丁寧にその中を見ている間に、彼女が電話で空き部屋を確認してくれたホテルにその日の宿を決めた。 
 仕事が引けたらホテルに行きますという里依子を残して、私は教えられたタクシー乗り場で車を拾いそのままホテルに直行した。そこはチョコレート色の斬新なたたずまいの建物だった。

フロントで、里依子に渡された宿泊券を示し、やがてその一室に落ち着いた。
ホテルの窓からは悠長な町のたたずまいが見え、その町全体が雪にまみれてあくびをしているような雰囲気がある。にもかかわらず白黒に還元された町のコントラストの強さに惹かれ、思わず立ち上がって窓辺に歩みよった。
 雪の白さが新鮮な透明感を感じさせ、その清楚な装いが里依子と重なるのを、私は抗いもせず楽しむのだった。
 ホテルの裏側に寡黙な雪の丘が座り、その上にもの思わしい林が見えた。しばらくそのしめやかな眺めから目が離せなくなった。そしてにわかに、そこに行ってみようと思ったのである。
 スケッチブックを取り、私はそのまま外に出た。
 ホテルの玄関を出て、その右側に伸びる道路を行くと小高い丘がある。

雪解けの水が道路にあって、周囲の雪は黒ずんでいた。それは雪というよりシャーベットのようなものだった。
 道が自然に登り始めるとすぐにその右手から疎林が立ち上がってくる。それはいつまでも登り道と共に伸び拡がってゆくらしかった。
 私は何度かその林の中に入って行こうとしたが、そのたびに奥の未踏の雪溜まりに阻まれて空しく引き返さなければならなかった。しかしやがて広い通りが林の中に続いている場所に出、そこから細々と一条の人の足跡が続いてその奥に消えているのを目にした。淋しげでありながら、人のぬくもりを感じさせる一枚の絵のような眺めに心を奪われて、私は深い息を吸い込んだ。
 足跡は私の足元から続いている。意味もなく私はただその足跡に自分の足を重ねてみた。雪の感触が靴の裏側から伝わり、思わず二の足を次の足跡の上に注意深く重ね、そうしてゆっくりと歩み始めた。
ザク、ザク、ときしむ雪の音だけが心地よく響いてあたりの静寂を破ってゆくのだ。

雪の記憶は、遥かふるさとの少年時代にさかのぼる。長靴を履いて雪だるまをつくり、あるいは学校で雪合戦をした。私は堪え性がなくて、雪玉を4つも作るともう冷たさにたまらなくなってよく雪合戦に負けたものだった。
 それにしてもここには雪にうずもれるというイメージがあったのだが、この三月も終わりに近い千歳の雪は、どこかふるさとの雪に似ていると思った。
 そんなことを考えながら雪ばかりを見つめて歩いていると、いつの間にか目を焼かれていて、ふと見上げる空が赤かった。 
 やがて広い雪原に出る。一面の畳のような積雪に、てんてんと足跡だけの小路が淋しげに続いて私の心をくすぐった。その足跡は、広場の中央で別の足跡と十文字に交差しており、私はゆっくりとその一歩一歩を体感しながら交差点まで足を運んだ。左手に続く足跡を目で追えば、その先に不思議な立体が見えた。私は誘われるようにその方向に足を踏み出した。

 その立体は見上げるほど大きく、千歳市の記念碑であることが知れた。そこにどのような意味がこめられているのか知る術はなかったが、目にしている立体は、簡素な大理石の前衛彫刻に違いなかった。鏡面のように磨かれたその立体の表面は明度の深い石の味わいがあり、そこにおや?と思わせる驚きが仕組まれていた。
 一瞬立体が背景に溶けて透明に見えるのである。立体の表面に写った木立だと知るまでの間、私の心は完全に支配されていた。その写った木立が立体の背景に拡がる林の風景に溶解して一つの風景に見えているのだ。
 私は美術を志す者として、この心憎い演出を前に意味もない対抗心をかき立てられて立ち尽くすのだった。 
 記念碑から右手に広い道がある。それがふもとまで続いているように思われた。ここは公園になっていて、ここはその正面の通りだと思われた。その証拠となるほとんどの物証は雪の中に覆われていたが、その痕跡が雪原の大雑把な形の上から伺い知れた。私はわざとその方向には行かず、左手のまだずっと続いている一条の足跡を追うことにした。

足跡をいくらも追わないうちに、この足跡を残した先人はその先に見える神社に向ったのだと分かった。私はそれに逆らわずに進んでいった。
 神社はある重量感を持ちながら、深い根雪を頂いてしんしんと静まり返っている。それは私には思いがけないことだった。
 前年の夏、初めて北海道を訪れたとき、それは主に道東の海辺であったが、その旅先で偶然に行きあうこうした類の建物を見ては、形式だけを取り入れたような白々しさを覚えて、私は少なからぬ失望を覚えていたのだ。
 その度に私は、この土地と神道のかかわり合いの浅さであろうかと、勝手な解釈を下していたのだったが、この神社を前にしてはそんな思いは芥子粒のようだと思うのだった。
 静謐が深々と私の胸にやってきた。
 古びた色合いと古木の匂いが漂い来たって、その重厚な底の方から幾万の人々の魂の声がざわめいているようにも思われた。私はしばらくその思いに絡み取られるように動くことが出来なかった。

足元は黒々としたアスファルトだった。雪の上の一条の足跡は神社前でそのアスファルトの中に消えたのだ。雪解けの水がアスファルトの上を流れ細かな砂を運んでは、波紋の砂溜まりを幾重にも描いている。そしてそのまま緩やかに坂道を滑り降りているのだ。
 私はサラサラと走る水と砂を踏みしめるように歩き、両手をポケットに入れたまま背を丸めて坂を下っていった。
 下りきったところに鳥居がある。私はそれを見たとき、つい今しがた胸中に盛り上がった思いが180度転じて引き落とされるのを感じた。それはガクンという表現がふさわしいようなつんのめるばかりの不意打ちだった。
 それは鉄パイプのようなもので作られているのだろう、円筒をずん切りにして組み合わせただけの粗雑なつくりで、無造作に立てられている。そして心の染み入る余地さえない程にてかてかと黒ペンキが塗られているのだ。
 この鳥居の形式が、あるいはこの神社の作法にかなっているものだとしても、それがあまりにも無神経に思えて、私はそのとき、この北国の神社や仏閣は私の夢想するような、人々の心のかかわりとして育ってこなかったのかも知れないと思った。

前年の秋に里依子が京都にやってきたとき、二人で古都を散策しながらしみじみ言った彼女の言葉を、私は思い出していた。
 「北海道ではとてもこんな静かなお寺はないです。」
 そう言った里依子の姿が謙虚であったために、意外な言葉であったにもかかわらず私にはそれがそのまま里依子の心であるかのように感じたのだった。
 そのことで随分気を良くした私は、京都の社寺を案内できることにどれほど喜びを覚えたことだろう。
 黒ペンキで塗り固められた鉄パイプの鳥居はその里依子の言葉をそのまま裏付けているのだ。そのことに思い致ると、なんとも名状しがたい感情のたなびくのを感じないわけにはいかなかった。
 おそらく北限のこの地においては、心の救いを神仏に求めようとするよりもなお、現実に直面した厳しい自然の中で生き抜くために必要な自身の力に頼るしかなかったのではなかろうか。

神仏を信じようが信じまいが、自らの力を尽くさなければたちどころになぎ倒されてしまうだろう自然の猛威。降りしきる雪の中では、神仏など何の役にも立たないとこを開拓民の気概に沁みこませていったのではあるまいか。
 それは何の知識も持たない私の、随分短絡的な思考であるかも知れないが、にもかかわらずその思いは私の感傷を満足させた。私はもう一度振り返って鳥居を見、その鳥居の間から見通す神社への登り道を目で追っていった。
 神社からの道は細く、その路傍には雪に押しつぶされたトタン張りの小屋が、背骨を折られた動物のように天を仰いでいる。
 道はやがて車道に交わり、そこを右に折れて私はホテルに帰ってきた。私はどうやらホテルを出て、右回りに大きなサークルを描いてもとに帰ってきたようだ。
 そのホテルに至ろうとする前に、更に右に折れる道があって、私はそれが先ほどの公園に通じているのだろうと直感した。それを確かめるために、私はその道を再び丘を目指して登ってみた。
 はたして、私の目前には広い通りと、その奥に黒い立体造形の佇立する風景が絵のように表れた。その入り口にかかるところに橋が架かっていて、その下を疎水が流れていた。
 まるで近い春を歌うようなみな音を弾ませて。

 

 

3、居酒屋

 

ホテルに帰ると、私はロビーに設けられたカフェーでコーヒーを飲んで冷えた体を温め

た。そして部屋に戻り、何度も時計を見ながら踊る心をもてあましていた。                                                         

 テレビをつけても流れる映像にさしたる興味が起きるわけでもなく、思いはいつも里依子の面影に帰ってくる。するともう部屋の時計に目が向くのだ。ほんの数分動いただけの時計を恨めしく思いながら、私はベッドに座ったり寝転んだり、備え付けの机の引き出を開けたり閉めたりした。
 6時を大きく回って、7時に近かった。部屋の電話が鳴った。わざと数回ベルの音を数えて、受話器を取ると、その向こうに懐かしい声がいくらか緊張気味に聞こえてきた。里依子だった。


 「今ホテルのロビーに来ています。」それは鈴の音のようにだった。

 私は部屋に鍵をかけるのももどかしく、部屋を飛び出した。里依子はフロントの前のソファーに腰をおろしていて、私の姿を認めるとツッと立ってきた。

 私は満身に笑みをたたえて手を上げて里依子を見、里依子は身を引き締めてお辞儀をして遅れた詫びを口にするとすぐに笑顔になった。
 
 「出ましょうか」
 「ええ、いい所があるんです」

 私達は肩を並べてロビーを出た。外は微かに雨が降っていた。里依子がこちらにといって私の横で手を伸ばして、その先にあるタクシーを示した。里依子が職場から乗ってきたタクシーをそのまま待たせていたのだろう、乗り込んだタクシーの運転手に礼をいい、そして行き先を告げるのだった。
 車の中で里依子は会社の仲間とよく行く所だと私に説明した。私はただ訳もなくそんなことのすべてがうれしかった。
 里依子が案内した所は、小さな居酒屋だった。入り口ののれんをくぐると、すぐ右手から奥に向ってカウンターがあり、奥でくの字に曲がって厨房を取り巻くように続いていた。

入り口に立って見回すと、その奥まったカウンターに座っている客の顔が正面から見えた。カウンターに囲まれた厨房では、ひょうきんで律儀そうな板前が忙しそうに立ち回っていた。
 私達が入っていくと、彼は喉もとまである黒い前掛けにあごを深く埋めて馬鈴薯の皮むきを始めるところだった。まるで前掛けの上に鉢巻をした丸い頭を乗せたような格好でその胸元で機用に包丁を使いながら、その板前は利依子に話しかけた。
それは実にさりげなく親しげであり、里依子もまたそれに答えた。
 このカウンターのもう一つ奥には座敷があって、みせの賑わいはそこからも伝わってきた。
 入り口から程なくカウンターに座ると、後ろの壁には漁に使うガラスのブイや、網などが雑然と架けられており、そうした様々な古びた装飾が、饒舌気味ではあったが、店の雑然として薄暗い洞窟のような感じによく調和していて私の気にいった。

なんだかつい数時間前に脈絡なくこの地の神社の白々しさについて考えていたことが嘘のようで、ここにでは心の居場所を与えてくれるむき出しの生活のようなものが伝わってきて、ふっと和むものがあった。
 それはそばに里依子がいるという事と多分に関係があったけれども、しかし私は真っ先に、大阪ではこんな店は出来ませんよとその印象を伝えた。それは里依子に言ったのか自分に言ったのかはっきりしなかった。そう言えるほどこうした店を知っている訳ではなかったが、なぜかそう言い切るだけの自信があった。
 カウンターの前にはいかにも無造作に、私には初めて見るような魚が幾種類も積み上げられたショーケースが置かれており、頭上には鮭の燻製が縄で吊り下げられて、半分ほどその尻尾から身がそぎ取られていた。
 埃がたかっていても意に介さないような荒々しさが何の衒いもなくかもし出されているこの店が気に入った。そしてこの店によくやってくるという里依子の姿を想像し、あるは現実の里依子を横合いに眺めながら、その姿はあまりにも店と対照的ではあったが、にもかかわらずどこかふさわしいもののように思われて、こうして居酒屋に和む彼女を愛おしく思うのだった。

カウンターに座ると、里依子は手際よく酒と肴を注文した。目の前にあるショーケースを覗いては、細い指先で積み上げられた魚を示してその名前を私に教えた。
 ほとんどが私の知らないもので、ここでしか食べられませんからと、笑いながら里依子はそれらを注文するのだった。 
 酒が入ると私達は話に夢中になった。職場のことや家族のことなど、ありふれた会話が途切れなかった。しかし徐々にではあったが、私の心に焦りのような感情がたち表れるのを意識しないわけには行かなかった。
 それは二人の会話の中にいつまでも尾を引くように残っている不用の心遣いをどうすることも出来ずに、私はただ里依子の話しを聞き、答えることしか出来なかったのだ。たとえば玄関先で会話をするばかりで、その家の中に入っていけないもどかしさといえばいいだろうか。 
 里依子は注文した料理にほとんど箸をつけなかった。つい今しがたまで残業をこなしていた彼女のことを思うと、里依子のそのつつましい食が彼女の遠慮のように思われて、私は何度もそのことを言った。
 そのたびに、彼女は笑いながら応え、申しわけ程度に箸の先に魚の身を挟むのだった。


 「そんなにお腹がすいてないの」

 

里依子はそう言うが、私にはその言葉がもどかしくてならなかった。けれどもその一方で、私はビールのおかわりをしたい気持ちを抑えている自分を発見するのだ。

里依子の細い食を気にしながら、出された料理は残らず食べてしまうのが常である私もまた皿の上に大半を残していた。

 「もしかしたら会って頂けないのかも知れないと思っていました。」

 堪えきれずに、私はここに来ようと心に決めて以来ずっと持ち続けてきた不安を打ち明けた。

 「いやだったら会っていませんでした。」
 小さな声で俯いたまま里依子は答えた。その声は辺りの騒音に消されてしまって「いやだったら」と言ったのか「本当は」と言ったのかよくわからなかった。そしてそれを聞きなおす勇気が私にはなかった。
 こんな話を二度も彼女に言わせることが辛いようにも思われ、しばらくの間彼女の言ったことを詮索しながら笑いでごまかしてしまった。そしてそんな自分を恥じた。
あるいはまた、彼女は自分の人生を正面からとらえて、幾多の悩みを抱えていた。それは私の知っている苦悩の類ではあったのだが、そんな話をするたびに深刻になっていく姿に戸惑いを感じないわけにはいかなかった。
 里依子のそんな真剣な姿は、ある意味で私の心と共有出来るような喜びの残片もないわけではなかったが、こうして自分の人生に思い悩みながらどんどん沈んでいく彼女はどこか間違っていると思った。

里依子はもっと気安く自分の悩みと付き合っていくべきだと私は思った。けれどもそのことをどう伝えていいかわからず、くるくると頭の中で言葉を探しては貧相な自分の人生しか見えてこないことに苛立ちを覚えるのだった。 
 人は生きていること自体が素晴らしいのであって、悩みはその喜びを知らしめるためにある。
 どこで聞いたのかも分からない受け売りの言葉を繰り返すしかない私は馬鹿だとも思った。そんな言葉は実際に悩む里依子にとっては何のかかわりもないことであって、必要なのは現実の心の支えなのだ。そんな思いが会話の節々から顔を覗かせて貧しい私を悲しげに見ている。
 だが一方では、こんな話をしてくれる里依子を嬉しく思うのだった。彼女のそんな姿は、私を信頼してくれている証であって、私はただ黙って彼女を抱きしめ明日の日が昇るまで静かに温めてやることが出来るのだ。
 深く自分を語り、やがてそれも尽きようかと思われた頃、里依子はポツリとこんなことを言った。

 

「こんな事を考えるには手紙を書くときだけです。」
 
 普段は何も考えないで過ぎてゆくというのであった。里依子からやってきた何通もの手紙には、よく彼女の日常のこまごましたことが書かれており、私はそこから里依子の人となりを感じ、その温かさと明瞭さに強く心惹かれていた。そこにははつらつとした透明感があったが、その間合いに深刻な人生への思いを綴りそして迷うのだ。
 そして私もまた同じ波長を里依子に発していたために、互いの手紙のやり取りは回廊を巡る巡礼者のように先に進むことが出来なかったのだ。
 そのことを里依子は感じていたに違いない。そして最後に言った彼女の言葉は、きっと本当だろうと私は思った。それでいいのだという思いを体で表すために私は里依子を優しく見つめそして心からの笑顔を送った。
 考え過ぎることは決して自分のためにならないだろう。しかし考えてもみないというのでは自分の人生を味気ないものにしてしまう。まるで清らかな浜辺のなぎさのように、苦悩と喜びを繰り返す里依子の初々しさ。その波頭を照らす光になれたらどんなに素晴らしいだろうかと、ひそかに私は思い生ぬるくなったビールを口に運んだ。キラキラと光る波頭の砂に吸い込まれていく様をふと思いながら。

なんとなく話が一区切りとなってしまった頃であった。
 それまでは気付きもしなかったのだが、私達の話を聞いていたのだろう里依子の隣に座っていた男がいきなり会話に割り込んできた。そして彼女の職場の仕事についての話を始めた。
 里依子は嫌がりもせず、笑顔でそれに応えた。それは私には分からない話だったが、里依子の態度に引きずられて少しは私も愛想笑いをしたに違いない。
 男は里依子の仕事と同じ関係者らしく、よくその内情を知っていて次々とそうした話を始めた。
 男はよく太り、人のよさそうな顔をしていた。人恋しいのか、単なる話好きなのか分からなかったが、なにやら話し終わったかと思えばまた次の話を始めて、そのたびに里依子は笑って応えた。
 最初のうち、私はそれを面白そうに聞いていたが、その男のいつ終わるとも知れない内輪話に長い間引き回されてゆくことに苛立ち、私は彼を無神経な男だと思い始めた。
 男のそうした話は私の知らない職場の生々しい一端をうかがわせてくれ、会話の中で見え隠れする人の良さは私の気を悪くする類のものではなかったにもかかわらず、このような形で私と里依子の会話を奪ってそれに気付かないこの男を椅子から突き落としてやりたい衝動に駆られた。
 しかし里依子はよくそれに応えていた。男の際限ない話は、彼女をも疲れさせるようであったが、里依子のにこやかな対応が続く以上、私は自分を抑えようと思った。何よりここは里依子の生活の場なのであって、私は風致も知らぬよそ者に違いなかった。男を椅子から突き落とすのは簡単だが、それによってこうむるだろう里依子への被害がどんなものであるのか想像さえつかないのだ。

私の想いなど誰にも見えるはずはない。男の話は延々と続き、いつ果てるとも知れなかった。それに応ずる里依子のにこやかな態度は、自分でも言っていたように、おそらく職場で培われた笑顔であるに違いなかった。
 そう思うと、その一方で、それでは私に見せる笑顔もまたそうしたものだろうかという考えが生まれてきた。
 里依子の私に対する態度もまた、彼女の本心からのものではなかったとしたら・・・こうした考えが不用意に現れて私の心に突き刺さったのだ。それはまだ大きな痛みとはならなかったものの、早春の日差しが突然雲に奪われてしまったときのように、悲哀を肌に感じないわけにはいかなかった。するといつまでも男に対応する里依子に対してさえ、腹立たしさを覚えるのだった。
 だがそれは多分に私の思い過ごしであることを心の底の方では理解していたために、こうした考えは風のように私の皮膚を通りこして行った。

私はなんとか里依子を取り返そうと試みた。
 男の話の節々に私の理解出来るところがあるとすかさず話しを割り込ませて、会話を私の方に持ってゆこうとした。
 するとそれは男の一言でかわされてしまい、話の流れは変わらなかった。私の挑戦はまるで太刀筋を見切られた二流剣士のようにオロオロと剣を振り回すばかりなのだ。
 あるいは強引に、二人にしか分からない会話に里依子を誘うと、その間合いに男の声が巧妙に入り込み、すぐに私達を引き離した。
 どうあがいても、この太った男に勝ち目はなかった。男は私が里依子の真の相手であるということをいっこうに解せず、苛立つ私とは対照的に、実にのどかに悠長に酒を飲みながら話を止めなかった。
 そして私は性懲りもなく無益な戦いを挑んで、そのたびに里依子は、その間にはさまれてあちらを向いたりこちらを向いたり忙しかった。
 この窮状を救ってくれたのが里依子の同僚達であったのである。

突然明るい声が私の後ろから里依子の名を呼んだ。
 その声は里依子と私の間に割り込んできた。赤いセーターを着込んで、両の手にビールのビンを持って立っている。その若い女性は里依子の同僚だった。急にその場が盛り上がって、彼女と里依子は手を取ってはしゃぎ戯れあった。
 その印象は私にはいいものだった。
 里依子は彼女に私を紹介した。
 「話はよく伺っています。」
 赤いセーターの女性はそういって私をまじまじと見、そして微笑んだ。屈託のない素朴さと幾分幼さの残った明朗さは、私を思わず微笑ませてくれる魅力があった。そしてよく伺っていますと言って笑いかけるこの女性こそ、里依子が書いてくる親友に違いなかった。
 彼女は私達のグラスにビールを注いで、いさぎよく奥の部屋に入っていった。そこにはいつの間にか里依子の同僚達が席を占めているようで、彼女が入ると部屋の中がひとしきりざわめいて活気付き、何人かの女性が障子から覗いて里依子に目の合図を送る者もいた。その目は悪戯っぽく、そして可愛らしかった。
 こうした若く爽やかな活気は、好きな職場ですという里依子の言葉を裏付けるように明るく屈託がなかった。そしてこの自由な空気と若々しいエネルギーに満ちた仲間達の饗宴を羨ましいと思うのだった。
 そのような賑わいが、この小さな居酒屋にあふれるばかりになり始めた頃、
 「もう出ましょうか。」と里依子が言った。

 11時ごろであっただろうか、ちょうど新たな一群がやって来て、入り口で立ち往生しているところだった。
 里依子の一言で私達はそこを出た。外はすでにやって来た時の雨は上がっており、代わりにはく息が白く口から横に流れた。

 「歩きましょう」


 そう言って私達は所々に水溜りの出来た暗いアスファルトの路を歩き始めた。
 私は居酒屋の太った男から解放されて、やっと二人きりになれたという安心感があって、随分落ち着いた足取りで水たまりを避けながら歩き、触れ合う里依子の肩の温かさを独り占めにするのだった。私は演技しなくてもいい自分に言い知れぬ喜びを感じていた。
 「面白い人でしたね。」
 「初めて話したんです。」
 言わずともどちらも先の男のことを言っているのは分かっていた。そしてそれだけで私の心は報われるのだ。すでにあのときの苛立ちは忘れ果て、里依子と共にゆったりと歩調を合わせるだけで彼女の心が私に伝わってくるように思われた。私はこのままずっと歩いていたいと願わずにはいられなかった。
 静かな幸福感が私の肌を透明にしてくれる。そして自然に最近聞き始めた楽曲が口からこぼれ出た。バイオリンの旋律が心地よく、里依子を知ってからの私の心によく合い、偶然聞いたその曲が私の気に入ったのだ。レコード店で探しあてて初めてその曲がチャイコフスキーの「悲しみのセレナーデ」だと知ったとき、悲しみと幸福は同じものなのかも知れないと思ったのはつい最近のことだった。

やがて橋の上に出た。千歳川が雪解けの水を乗せて豊富な流れとなっているその上を私達は歩いた。春を待ちわびるもののために、一刻も早く冬の残り香を海に運んでしまおうとするかのように、その早い流れは私達を包む夜気とよく調和していた。
 橋をわたるとすぐホテルの前に出た。それがあまりに突然であっけなかったために、私は少なからず失望を覚えた。もう1時間はこうして歩いていたかった。
 里依子の寮はそれから先の、ホテルからそんなに離れていないところだと言った。私は里依子を寮まで送るためにホテルの前を通り越し、更にその先を里依子を誘うように歩き始めた。里依子は黙って付いて来た。
 その道は私が昼間に歩いた、右手に公園の林が続く路であった。私はそのことが何かホッとすることのように思われ、かたわらの里依子にそのことを伝えた。
 「青葉公園というのです。」
 暗い夜道にまぎれて、里依子が笑った。

緩やかな登り坂をしばらく行って左に折れ、小さな橋を渡った。その橋の上から見える小川は雪明りの中でおとぎの国のような優しさが感じられた。
 里依子の寮はそこからすぐ左手に見えた。それは想像よりも大きく、立派な建物であった。浅黄色の壁はしかしこの夜の雪には合わないようにも思われた。幾分機能的な形がそう思わせるのかも知れなかったし、橋から見た雪景色とあまりに対照的なためだったのかも知れない。
 門限を過ぎて帰ってきたときなどは、窓に石を投げて門を開けてもらうと里依子は言っていたが、その窓はいくつも道路に面していて、里依子はどの窓に向って石を投げるんだろうと思いながら、彼女のそのほほ笑ましい寮生活に思いをめぐらせた。
 門の手前で私達は明日の約束を交わして別れた。
 私は元来た道を帰っていった。その胸の中にはまだたくさんの話し足りない不満が残っていた。しかしそれもまたこの身を締め上げる冷気に託して、私はぐっと胸元を引き締めた。心の目は明日の方に向うようだった。

 

 

4小樽商科大学

 

次の朝8時に里依子から電話があって、40分にタクシーを拾って行くと伝えてきた。
 今日は千歳から小樽までの間が、里依子と一緒にいられる唯一の時間となるだろう。それはここにやってくる時からわかっていたことで、里依子は小樽の親戚の家に、私は小樽の街を一人伊藤整の本を片手に歩き回る予定だった。
 それは「若い詩人の肖像」という本で、詩人伊藤整の青春期をその詩情と共に描いた私小説だった。いい本だからと言って、友人から回ってきたときにはすでにその文庫本は手垢で膨れ上がっていた。それ以来私はこの本に魅せられてしまったのだ。
 程なくタクシーが玄関に滑り込んできて里依子が降り立ってくる。私は彼女に向って手をあげ、促す彼女に従ってそのタクシーに乗り込んだ。
 「よく眠れましたか。」目を細めて里依子が聞いた。
 「ええぐっすりと。」そう答えながら私はフロントでもらった千歳市内の案内絵図を広げて、昨夜の居酒屋の位置を訪ねたりするうちにタクシーは駅に着いた。

里依子は札幌までの切符を買った。
 私は不審に思って、そのことを里依子に訊いた。札幌は小樽の手前の駅なのだ。
 
 「昨夜電話をしたら札幌まで迎えが来ることになったんです。だから先に小樽まで行ってください。」

 それは彼女の親戚の家からの出迎えのことらしかった。小樽まで一緒にという昨日の約束が、その日のうちに反故になっていたのだ。
 「そうですか・・・」私はそう応えたものの淋しい気持ちの湧き上がってくるのをどうしようもなかった。
 この機会に身内の者に会ってくださいと言ってくれればどんなにうれしいことだろう。そんなことを考えたり、せめて小樽まで一緒にいてくれてもいいのではないかと思ったりして、私は少し里依子に対して強引な気持ちになった。
 昨夜ベッドの中で夢のような願望の浮かび上がった計画を里依子にしてみたいと思ったのだ。

 

「今夜札幌から夜行列車で流氷を見に行きませんか。」


 以前里依子の手紙に、流氷を見に行きたいというようなことを書いていたのを覚えていた私が、咄嗟に思いついたことだったが、あるいは彼女も賛成するかもしれないと思ったのだ。
 ところが彼女はだめだと言った。次の日に会社の祝賀会があって、その受付をしなければならないというのだった。
 何度か勧めてみたが、彼女は首を横に振るばかりで、残念だと言えば一人で行ってきてくださいと言うのだった。
 彼女の態度は、私に対する思いやりから出たものだとは知りつつも、その言葉は私の心を重くさせた。
 しばらく気まずい沈黙が続いたが、やってきた電車に乗り込むと、私は伊藤整の本を取り出し、里依子にそれを見せながら今日の予定を説明したりしているうちにもう札幌だった。
 私は里依子と一緒に改札を出、里依子の迎えが来るまで一緒にいようと思っていた。しかしどうにもちぐはぐな気持ちを整理することができず、私は駅のコインロッカーに荷物を預けてすぐに再び改札に向かった。
 まだいくらか時間はあったが、それに改札を入ろうとすると、里依子がホテルに予約しなくていいんですかと聞いたが、小樽から電話すると言い残して私はプラットホームに入って行った。

列車を待つ間も、電車の中にあっても、終始心は晴れなかった。
 里依子はなるべく私といたくないと思っているのだろうか。そんな考えがいくら否定しても湧き上がってきて私を悩ませた。
 列車がいよいよ小樽に着くころになって、私はもう一度伊藤整の本を取り出し、これからの道順を考え始めた。
 私の前に札幌からずっと一緒に座っている若い男女がいた。二人は私のことなどまるで意識もしていないようだったが、私の方は里依子のことを思い起こさせてつい二人のしぐさを見てしまうのだった。そんな二人に思い切って声をかけ蘭島や余市のことを聞いてみた。
 はたして二人はこの地の学生のようで、女性が問うような眼を男性の方に向け、男はそれに応ずるような表情をしてから私に答えた
 蘭島から余市までの海岸通りはおそらく雪で歩けないだろうということだった。
 伊藤整がその恋人根見子を伴って初めて海岸を蘭島から余市まで歩いた。私はその足取りをたどってみようと思ったのだ。
 小樽、塩谷、蘭島。余市、そして忍路。二人の話からは確かなことは何も聞けなかったが、二人の飾り気のない対応に少しずつ心が晴れて来るのを感じて、私はいつの間にか二人を好きになっていた。

千歳から札幌までの電車の中で、里依子に伊藤整の本を開いてみせたのであったが、その時私は「蘭島村」とあるのを「ラントウムラ」と読んで彼女に示した。すると里依子は笑いながら「ランシマ」と読むのですと教えた。あるいはまた、「塩谷村」を「シオタニムラ」と言えば、本当に楽しそうに微笑みかけて「シオヤ」だと教えるのだった。それが可笑しくて私たちはもう一度笑った。その時の里依子の表情が実に爽やかで愛おしく思えたために、私はそれらの言葉をひそかに胸の奥にしまいこんだ。
 そのおかげで、いま目の前にいる若い男女に笑われずに済んだのだ。 
 やがて電車は小樽についた。私は二人に礼を言い、スケッチブックを片手に席を立った。
 駅前の電話ボックスに入り、私は早々ワシントンホテルを呼び出した。しかしそこに出たフロントの係員はそっけなく満室だということを伝えてきた。
 特に宿の心配はしなかったが、今夜の連絡は里依子からそのホテルに電話するということであったから、私はそのことが気になった。
 里依子が今日予定通りに寮へ帰るのなら連絡の方法はあるが、万一小樽の親戚の家で泊まることになったらこれはもうどうしようもなくなる。
 昨日小樽まで一緒のはずの約束が小樽の親戚の一言で変わったのだから、今度もそれは十分考えられるだろう。いろいろとよからぬ考えは巡ってきても、いい方法は思い浮かばなかった。
 里依子がホテルに電話しなくていいのですかと聞いた時、素直に電話をかけていればよかったと後悔し、しかしなんとかなるだろうと思い直して私はまず、伊藤整の通ったという高等商学校に行ってみることにした。
 今は小樽商科大学という名に代わっているはずで、これも里依子の教えてくれたことだった。そしてその校舎は今もその場所にあって、小樽の港町を見下ろしているはずであった。

小樽の駅から右に行くと、すぐガードの下をくぐる坂道に出、それが小樽商科大学に続く上り坂のゆったりとした坂道であった。
 この坂道を、伊藤整たちは女学生とあと先になりながら、それぞれに青春の思惑を抱いて学校に通ったのだ。遠くに向かう思いが懐かしさに似た感情を伴って浮かんできて、その思いと歩調を合わせるように私はゆっくりと坂を上りはじめた。
 雪解けの水が絶えず流れ下って来るその坂道を、清楚な面持ちで踏みしめながら撫ぜるようにあたりを眺め渡した。
 道に面した家並みには思い思いにショベルをもった人々があって、まだ溶けずに残っている家の周りの雪をアスファルトの道の上に投げ出していた。雪は水となってアスファルトを黒々と光らせ、細かな砂を運んでは路上に縞模様を作りながら、音もなく下へ下へと流れていく。それは何かおとぎの国のようにも思われた。
 その一方で、雪かきをする人々は現実を思わせる表情で作業をこなしており、なんだか私はそちらのほうが不思議に思えるのだった。
 目の前に来ている春の饒舌の中にあって、人々はもっと明るい顔をしているはずだと思うのは私の浅はかな考えなのかもしれない。
 そんなことを思いながら、高みにゆくに連れて広がってくる小樽の美しい港の光景を目にすると、それはいとも簡単に私を現実から引き離し、ただ美しい世界に自分を埋没させるのだった。

交差点で進路を迷っていると、一人の老人が坂を上ってきた。私が老人に道を聞くと、この道をまっすぐじゃと、しわだらけの顔をほころばせて教えてくれた。
 私はその老人を一目見て気に入った。足もとが不自由らしく、訥々と杖をつきながら老人にはきついこの坂を上っていく。
 私はその老人の歩調に合わせて、わざとのんびりした足取りで歩き、ゆっくりと喋った。
 老人は小樽商科大学を知っていたが、伊藤整のことは知らなかった。老人は三年前にこの小樽にやってきて、その折に仕事を失ったのだと言った。

 「この年になると仕事はありませんわ。」

 そう言って老人はさみしく笑った。自然に出るのだろう涙で濡れた目の縁が、明るすぎる太陽の光を受けて時々光った。
 ポツリポツリと、自分の生い立ちなどを断片的に話す老人に、私はたまらなく愛着を感じた。老人は一言も私の事を聞こうとはしなかった。ただ静かに、曲った腰から上目使いに私を見て笑うのだった。いじらしいという表現はこの老人に不敬ではあったが、しかし私は素のままでそのように思うのだった。
 私はまた、伊藤整の本の中に、この坂道のどこかにパン屋があって、そこから小林多喜二が同じ学校に通っていたという意味の記述があったことを思い出し、そのことを聞いてみた。

 「ああ、たぶんこのあたりにあるのじゃが、・・・」

 老人はしばらく考えて、私はその場所を知らないが、これから行く場所で訪ねてあげようと私を誘った。しかし老人の息が切れているのを感じ、これ以上の労苦が気の毒にも思えたので、私は感謝の気持ちをこめてそれを断った。
 やがて私たちは小さな路地に入る分かれ道で二手に別れた。老人は別れぎわに笑って手を振った。私は思わず手をあげてそれに応えた。それからもう一度振り返ったとき、老人はそこからゆっくりと路地に入っていくところであった。

私は爽やかな気分で自分のペースを取り戻して歩き始めた。
 するといくらも行かないうちにパン屋があった。ちょうど昼時であったし、小林多喜二をまた思い起こさせたので、私は一度通り過ぎた店の前を折り返してそのパン屋に入って行った。
 中は薄暗く、外光に焼けた目にはすぐにその店の様子が分からなかったが、奥に人かげが動き、ようやくそれが店の女主人だとわかった。
 私はパンを買い、その場でほおばりながら、小林多喜二の生家を知りませんかと聞いてみた。
 実はうちなんですという答えを期待していたが、女主人は心得顔でこのあたりにはないと教えた。それはもっと、あの山を越えた処で、まだ雪が深くて行けないだろうと言った。
 その女主人が指さした山は、小樽商科大学のある辺りから少し右手のあたりに見えていた。その小さな山頂は、小樽の明るい日差しの中にあって対照的な、中間色に沈んでいた。
 老人の話が本当なのか、店の女主人が正しいのか、それを確かめるほどの情熱を持ち合わせていなかったために、私はこれ以上の追及を諦めた。それは最後のパンの一切れを口に運んだ時だった。
 店を出て、私は再び老人が教えてくれた道を上って行った。二十分近く上っただろうか、ようやく山の中腹に差し掛かり、その高台に建物が見えてきた。それが小樽商科大学の敷地に違いなかった。そのすぐ下にも学校があって、伊藤整によれば庁立商業学校であるのだろう。

学生たちが三々五々、グループで下りてくる。彼らは私を見て決してよそ者とは思わないだろう。私はきっと商大の学生のように見えているに違いない。彼らとすれ違うたびに私はそう思った。
 私は何気ない顔をしてキャンバスに入って行った。学舎は春休みのためであろう、学生の姿はなく閑散としてほとんどその入口は施錠されているようだった。
 それは先ほどのすれ違った学生たちの活気からは想像できなかった静けさだった。門に守衛が一人車を洗っている。そしてそれだけが動いていた。
 門をくぐって中ほどまで行くと、予期していなかったことであったが、左手の方に古びた木造の校舎が見えた。するとさらにそこから少し奥まったところにも同じような建物があって、一方は二階建て、他方は同じような二階建てだが、その中央に時計台を思わせるような棟屋が乗っている。その三階部分は何となく意味ありげな形をしていて私を惹きつけた。いずれも明るい若草色のペンキが塗られ、それがいたる所ではげ落ちている。この二棟は同じ時代からやってきたと思わせる一つの雰囲気を持っていた。
 それは確かめるまでもなく、伊藤整が描いた当時の校舎そのものだろうと思われた。若草色の校舎は無残にも朽ちるままに置かれてはいたが、かつて伊藤整が覚えた「粋な」感じをいまだ伝えていて、私はわけもなく「若い詩人の肖像」の世界に引き込まれていくのだった。
 建物は細長い校舎で、妻入りの様式を取っており、積雪を考慮して作られたのだろう入口のドアは地面から膝のあたりの高さにつけられている。そしてそれは古びて歪み、うまく納まらずにそのまま開放されていた。
 私は注意深くドアを引きあけ、馬をまたぐようにして敷居を超え、その中に入った。するとそこは昭和初期の匂いが満ちていた。

ペンキのはげ落ちた板壁の向こうは、死んだように空気が淀んでいた。歩くと古びた板張りの廊下が大きな音をたてて四方に響き渡った。
 その廊下は狭く、直線に通っていた。廊下に添って教室が並び、その教室の入り口は釘や南京錠で止められて、中に入ることができなかった。
 それでも、戸の開くところがあって、覗けばそこは意外にも小さな、小学生が使うような教室だと思われた。埃にまみれて机や椅子が雑然と転がり、長い年月ここが使われていないことを示していた。
 それにしてもこの建物は全体に小さな感じがして、それは年月とともに縮んで来たような錯覚を覚える。それは現実から出発していつしかメルヘンの世界に移行していく過渡期のような雰囲気を持っていた。
 この中で伊藤整たちは勉学し、詩を作り、恋しさを甘酸っぱく醸造したのだ。そして後年の伊藤整を支え続けて来たのだろう。そう思ってみれば歴史が重く圧して厳粛な気分に襲われてくる。
 中には誰もいず、動くものは何一つなかった。それでも歩いているうちに、この建物はどうやら学生たちの部活動に使われているらしいことがわかってきた。
 開放された教室にはいかにも学生運動を思わせるプラカードや看板が散乱している。部室に転用された教室には各部の名前が思い思いの方法で示されていた。かつての威風ある校舎は、今や学生たちに凌駕されているのだろうか。
 しかしそれでいて何かしらこの積塵の静まりの中には、私の心にしみ透る何かがあった。そしてそれが本当だとすれば、それはおそらく、伊藤整が描いて見せた詩的な、そして真摯な心の所為であったろう。
 私自身がよそ者の闖入者であるということを忘れ、ここが小樽商科大学の管理する建物であるということも介せず、ただ伊藤整の世界にその心を彷徨わせているのだった。

歩けるところはすべて歩いてみた。階段の下に小さな、ほとんど潜って入るような入口があって、隠し部屋のような雰囲気をかもしだしていた。まるで古代遺跡の新発見でもあるように興味をそそられ、無理をして入ってみた。
 その中もまた、学生たちの傷跡が著しかった。中は狭く、しかし天井は高かった。一体何に使った部屋だったのだろうと考えてみたが、もとより答えるものはどこにもなく、私の興味は壁に描き散らされている落書きの方に移っていった。
 多くは大学や社会を批判したものであったが、それに混じって個人への批判、中傷の類が判別され、いくつかは仲間への檄文も見られた。それらは薄汚れた白壁の手の届く範囲に集中し、余白もないほどに脈絡なく散乱する文字の、あるいは憤懣に満ちた青年たちのエネルギーの遺跡だった。
 これらの落書きは60年代の学生運動の中心にあって、この部屋はその砦であったのかも知れないと思われた。
 ところどころに性的な程度の低い落書きもあったが、そこからもまたエネルギーのはけ口を求める学生たちの姿が垣間見えて、案外そんな落書きから私自身を同士として迎え入れようとする闇の手が振られているような錯覚を覚えるのだった。
 私は我にかえって辺りを見回し、現実に立ち返ると身を屈め、急いでその小さな隠し部屋を出た。それでも背後から学生たちの気配がやってくるように思われて、私はまっすぐその古びた学舎の出口に向かった。
 建物を出ると眩しすぎる光の渦が闇の者たちを焼き尽くした。ちょうど正門から4〜5人の学生が入ってくるところだった。
 私は自分がこの大学の学生だという顔で、彼らと十文字に交差してもう1棟の、3階のある校舎に入って行った。
 あるいはそれは当時の主屋であろうかと思われたが、それもまた分からないことだった。

まだ残雪は深く、かつての主屋に到る道は雪の上だった。人通りの少ないことを証明するように、トボトボと足跡が雪にめり込んだままで残っており、その足跡を選んで歩いても私の足は雪に沈んで埋もれそうだった。
 主屋と思われるその建物は、ドアを押しあけて簡単に入ることが出来たが、先の校舎よりもさらに暗く感じられた。注意深く辺りを見回すと、はたしてそれは感じではなく実際に暗いということが判明した。
 つまり、この細長い校舎に並行してその南側に隣接した現役の建物があり、その建物との間に雪が吹きだまっているのだ。その雪はまだ深く残っており、私が立っている部屋の窓を埋めているのだ。
 雪はその窓ガラスの接触面から溶けはじめ、窓の外ですすけたような色をして洞窟のような壁を作っている。窓と雪の壁の間には小人たちが座って食事ができるほどの空洞ができているのだ。
 その印象は複雑だったが、概してそれは私に陰鬱な印象を与えた。
 先ほどの建物と同じように、この校舎もまた学生たちに開放されているのだろうか、管理を放棄されたまま時が流れ、学生たちのいないこの時期にはその流れさえ止めて淀んだように眠っているのだ。
 建物の中央には、外見から想像された3階に続く階段が見えた。それは古風な手すりのついた主屋としての趣を感じさせる造りで、目に入れた瞬間私は伊藤整が描いた空間であることを直感的に理解したのだった。この階段で伊藤整と小林多喜二は互いに意識しあいながら何度かすれ違ったのだ。
 私は誘われるように、手すりに手を添えて階段を上った。上りつめたそこは大講堂になっていた。入口には合併教室と書かれた板が張り付けられている。

ドアを押しあけて入ると、すぐ正面に一段高くなった教壇があり、この部屋には不釣り合いと思われる新しい暗緑の講義用黒板が正面の壁を領していた。
 この黒板と教壇のほかは何もない。ガランとした空間が行き所を失って微動だにしないと思われた。その空気が私の体温を吸収して動き始める。歩くと靴の音が響き渡り、私の腹の中にまで反響して、不思議に私を落ち着かせるのだった。
 黒板には様々なことが脈絡なく書きこまれていていた。その中にいちだんと大きく書かれた赤い文字が私の興味をひいた。

 「我々は伊藤整を訪ねてここに来たり7/3」

 その一行のそばに3名の名が苗字だけ書き連ねられている。それはちょうど黒板の真ん中にあった。
 私はそれを見たとき、異邦の地で知人に会った時のように心の叫びをあげた。私は知らぬ間に伊藤整への意識を増幅させ、板上の3名に共感を覚えるのだった。
 彼らもまた、この「若い詩人の肖像」を読んだに違いない。そしてその涙ぐましい真実の心に魅せられたのだ。そしておそらく、グループで来ていることや夏前のいい季節に来ていること、そして臆面もなくこのような声明文を残していることを考えれば、3人は小説の中の伊藤整と同じ大学生だったのだろう。そしてその中に一人は女性が含まれていてもいい。
 黒板に近寄ると、彼らが使ったはずの赤いチョークはもうどこにも見当たらなかった。チョークは片付けても、落書きは消されなかった。このことは何を物語っているのだろうか。
 この「7/3」が最も近い前年の7月3日のことであるとしても、およそ8か月近くにもなる今まで、学生たちがこの教室を使わなかったと考えるのは不自然だろう。するとこの落書きが今も残されているということは、誰もがこの声明文に共感しているからなのだろうか。あるいはこの学校の誇りとして、学生たちの心の中に伊藤整が存在するからなのだろうか。あるいはまた、彼らの、優しさの故であろうか。
 様々なことを考えながら、私はこうした落書きがいつまでも消されずにいることに不思議な喜びを感じるのだった。

私は床に落ちている黄色のチョークを取り上げ、黒板に自分の名前を書いてみた。
 シュカ、シュカ、シュカ、黒板とチョークの擦れる音が部屋いっぱいに溢れて私は思わず全身に震えを覚えた。
 私は今まで自分の表現をこれほど増幅されて感じたことがあっただろうか。一本線を引くと、その音が私の心を突き抜けて部屋を満たし、私はなんだかこの建物そのものになってしまったように感じ、その黒板に書く自分の名前と同時に私はこの建物と同じ大きさになって、何やら小樽の港に向かって、いやもっと抽象的な人々の心に向かって自分を主張しているような錯覚に陥るのだった。それは決して誇張ではなく、それほどに鋭い音をこのチョークは放ち、私の心をそのように刺激し打ちのめすだけの深い、そして重々しいものを持っていた。この部屋には合わないような新しい黒板であったけれども、そこから醸し出されたチョークの音は実にこの部屋の眠りについた歴史を揺り起こす魔法のような働きをしているのだ。
 私の心は訳もなく満たされ、大きな幸せを腹の底に蓄えた。
 何やらいつまでもこのまま、こうしていたいという思いが消えなかったが、しかし切りもないので私はようやくその部屋を後にした。

外にはまばゆいばかりの太陽があって、薄暗がりからやってきた私の体はその光線を受けて朗々と萌え上がるばかりに膨らみ、意識は急激に現実に向かって流れ始めた。
 キャンパスから眼下に小樽港が青く霞んで広がっていた。その眺めは伊藤整が何度も表現している通りの感動的な美しさがあった。
 その光景に視線を漂わせながら、港に広がる小樽の街を見たとき、一瞬だったがあの町のどこかに里依子がいるのだと私は思った。すると一層小樽の街が愛くるしく見えるのだった。
 その小樽の街から私の立っているところまで目を引いてくると、輝く雪景色がことのほか暖かく感じられる。
 麓から緩やかに上ってくる坂道の、その途中にあるパン屋に寄って何気なく女主人にここの生活を聞いた時、彼女は朗らかにきっぱりと小樽はいい街だと言った。私は頷きながら、このように明朗に自分の生活を誇れる女主人を逞しいと思ったのだった。
 この美しい風景は、こうした土着の人々の力強い生活に裏打ちされているのかも知れなかった。
 この坂道を段々に彩っている家々はいかにも白い雪に合い、鋭く響き渡って私の網膜を忙しく刺激する。それはあたかもこの冬のために家が建てられ、色彩されているようにも思えるのだった。
 いずれにせよこうしたカラフルな家並みは、厳しい冬の生活の中で生み出された人々の希望の色に違いなかった。

真っ白な雪の斜面にキラキラと建物は輝き渡り、その色は薄い緑であったり青であったり、あるいはピンクやクリーム色であったりして、それらが一斉に目に飛び込んで来る。私の眼はその鮮やかな光の量にしみて眩み、心に痛かった。
 それは何よりこの美しさが、自然の中で生まれた無垢なるものの形ではなく、むしろその自然の中に生きる人の営みから生み出されたものだという思いからだった。
 人の営みにはなぜか悲しみが付きまとう。
 私の通奏低音と言ってもいい思いがやってくる。磨かれたリンゴよりも泥のついた大根により深い美を感じるように、私はいつも風景を見、人生を見てしまう。そしてそのわびしさから、次第に自分が子どもの目を失いつつあることを複雑な思いで感じるのだった。
 そのように私の心が複雑に動いても相変わらず小樽の街は白い雪でまみれているのである。
 凛として澄み切った空気と光が色彩となって人間の造形と調和する。それは逆に、人の営みはただそれだけで自然と調和していることを教えてくれているのかも知れない。
 思考が巡り、やがて街は私を勇気付けてくれるようだった。さしあたって今夜の宿がなかったが、それさえなんとかなるだろうという気持ちになっていた。朝からの重い気分は小樽の雪と共に溶けはじめ、心が上昇する。いつしか、なんとかなるだろうという放埓感が心に満ちて、今日中に札幌まで帰らなければならないという思いだけが私の自由を制御する基準のように思われた

 

 

5、塩 谷

 

再び小樽の駅についた私は、伊藤整の生家のあった塩谷に行こうと思った。時刻表をみると二時過ぎまで列車がないことが分かった。駅の時刻は一時を回ったところであったので、私は少し逡巡してタクシーを拾うことに決めた。
 小樽の駅前には国道が並行して走っており、その道路標識には駅から左の方向、つまり小樽商科大学とは反対の方向に蘭島、余市と表示されていた。塩谷はその蘭島よりも手前にあるはずだった。車は多く、どの車も泥だらけで走っていた。雪解け水が道路を泥道に変えているのだ。タクシーはすぐにつかまった。塩谷はそこから10分ほどの行程だった。
 車に乗り込むと、私は運転手に行き先を塩谷駅と告げた。運転手は黙って首を少し前に振っただけで走り出したが、しばらくすると口を切って私に、今頃なにをする者だと聞いた。
 運転手は私を仕事で塩谷まで行くのだと思っているらしかった。あるいは私の手に持っているのは汚れたスケッチブックだけという様子をみて、不審に思ったのかもしれない。私が旅の理由を話すと彼は少し奇異な声を上げて驚いて見せた。そしてこんな所で、今はなにもみるものがない。いい所を案内しようかと、ちらりとミラーで私を見ながら言った。
 私はそれを断り、伊藤整の生家を訪ねるつもりだと応えた

しばらくタクシーは無言で走り、塩谷駅という表示板を通り越した。
 おや?と思っていると、そこから国道をそれる小道に入り、ぬかるんだ山道を上って行った。道はやっと車が一台通れる程の狭い地道だった。
 私は塩屋駅に行ってくれと言った筈だったが、運転手が気を利かせてその生家まで連れて行ってくれるらしかった。
 タクシーは歩くようなスピードで車を転がして進み、運転手は右手に見える雪の斜面にあちらこちら目をやっていた。やがて車は脇道いっぱいに幅寄せして窮屈そうに何度か切り返しながらUタウンして止まった。
 道の両側はまだ50センチほどの積雪が見渡す限り続いている。その雪原の中ほどに車を止められたのだ。ここではなく、その前後のどこに止まっても何ら変わり映えのしない眺めが車窓から眺められた。
 車が入ってきた一本道は左肩から右下がりに広がる斜面を横に伸びて上っていく小道だった。その斜面の下を国道が並行して走っている。そしてその先は日本海だった。
 道は海に面したなだらかな山の中腹を横に這い、その向こうの海に突き出た山塊の峰まで続いていて、その峰の切り通しのその向こうに消えていた。
 道に沿って続く斜面は海に向かってなだらかに広がり、見えるのは雪と針金だけのブドウ棚であった。
 そんな光景の中に、来たときとは反対の向きに車が止まったのである。あたかも無差別に停止したかのように思われて私は戸惑って運転手を見た。すると運転手の方が私よりもうろたえているのだ。
 「確かこの辺なのですがね・・・」
 運転手はしきりに海の方に伸びている斜面に向かって首をねじ曲げている。

 

「見えないなぁ、ここらあたりに文学碑があるはずなんですがねぇ・・」

 運転手は車から降りようともせず、ハンドルを握りながら窓の外を窺う格好をして言った。
 言われるままに辺りを見回したがそれらしきものはなく、私は少し運転手に疑いを持ち始めた。
 しかし車はそれ以上私を乗せて動く気配を見せず、彼はとにかくここから少し歩いた所だと主張した。
 私はその話を信用しなかったが、しかしどこでもいいだろうという気がして、とりあえず運転手の言うとおり歩くのも悪くあるまいと考えて車から降りた。
 私はそんなにも伊藤整の生家や文学碑に執着を持っているわけではなく、何より伊藤整という青年から生まれた詩の、その風土を感じ取りたかったのである。
 私が降りると、車は逃げるように去って行った。後には森閑とした雪原が残り、運転手がそこを下りて行くんですと指示した小さな並木が眼の下に見えていた。
 その並木はわずか5〜6メートル程海に向かって延びた数本の杉木立だったが、そのほかには何も見えず、ただ1台、錆びた車が半分雪に埋もれているばかりだった。
 そしてそこから先は斜面にそってブドウ棚が杭と針金だけを見せて雪の中にあった。まるで布団何枚も敷いたように広がり、国道に沿って建ち並ぶ家々の屋根に行き当たるまで続いている。そして当然のことのように、文学碑なるものは見当たらなかったのである。

道から50センチは積み上がった雪の上に立つと、そこには古い足跡がその斜面をぶどう棚に沿いながら下っているのが見えた。雪はまだ深く私の足を奪い、ブーツの中にも構わず冷たいものが入り込んだ。
 私は斜面をまっすぐに下って国道に出ようと思っていた。人家に出れば何かが聞けるかも知れない。ぶどう棚の杭を支えにして注意深く足を運んだ。雪の肌に全身を集中させなければ、吹きだまりに足を奪われて雪まみれになるのだった。
 雪原を半分も進めば、汗が出てくる。杭にしがみついて私は息をつき、しばらく動けなかった。
 そこからずっと横の方に広がっていくぶどう棚が見え、それを果てまで追っていくと、下りてきた道路が続いている緩やかな山の山頂まで方形のぶどう棚が見えている。その光景はなぜか私の情操に不思議な波紋を投げかけた。
 四辺に杭が立ち、それが雪の上で灰色にみえる。その杭に張られた針金が幾何学的な方形を作り、黒く見えたり、輝いたりしている。それは私に荒涼とした感覚を与え、夏が来ればここは一面のぶどう園になるのだという私の想像を妨げて、その情景はなかなか私の頭の中で像を結ばなかった。にもかかわらず私は次の一節を知らぬ間に想起する。

 これは信愛のために美をなげうったものの姿です。
 山嶺に近いブドウ園のカテージの窓によった
 若い母親と嬰児。
 ここで見える海の色は
 乙女の夢と乙女のまなざしを思ひかへして
 若母はふと寂しみはしないか。

 伊藤整の詩「葡萄園にて」はきっとこのあたりが舞台であろうと思えたのだ。
そう考えると私は咄嗟に、今自分は伊藤整の詩の裏側に立って骸骨のようなぶどう棚を見ているという、そんな錯覚の中にさまよい込んだ。

「葡萄園にて」の哀切な世界はこの海に向かう斜面から生まれたのだろう。そう思ってみれば眼下に広がる海は静かで、しかし明るかった。その明るさは青年の心を突き動かしていくエネルギーであったのかも知れない。
 考えが落ち着くと、私はようやく動き出した。民家の背戸を回って、その吹きだまりの雪に悩まされながら、やがて国道に出た。ブーツの中は湿って冷たかった。
 「やはりなかったな。」そう思って、私はあの運転手は私を騙したのか、あるいは間違えただけなのかと詮索した。すべては曖昧で確かなものは何一つなかった。
仕方なく私は塩谷の海岸に向ってスケッチを始めた。それがけが確かなもののようにも思われたのだ。
 塩谷の村はまだ雪に埋もれて眠っているようで、人影はどこにもなく、頻繁に車が通る国道の賑わいとは対象的な侘しさが感じられた。
 海岸の岩や岬を写し終えるころ、ようやく人の姿が目に入った。地元の人であるらしい仕事着をきた四十がらみの男性が私の方に歩いてきたのだ。
 私はちょうど国道を横切って海側の路肩に立っていたのだが、そこはちょうど国道から小樽の方向に入る側道の入口になっていた。その男は蘭島の方から国道を歩いてきて、私の前を通り側道に入っていこうとしていたのだ。

男が前を通り過ぎようとしたとき、私は軽い会釈をして伊藤整の生家のことを聞いてみた。

 「家はもうないがね、その文学碑ならこの上だ。」

 彼は今しがた私が歩いて来た道を指して言った。私が、そこから来たのだが判らなかったと言うと男はさらに詳しく説明してくれた。彼が指さすところに、ちょうどタクシーが止まった道路があり、そこに電柱が立っていた。その電柱から左へ、つまり小樽の方向に戻って4本目の電柱のある辺りだということだった。要するにタクシーは目的地を100mほど行き過ぎていたことになる。運転手はそれに気付かなかったのだ。

 「忍路はここから見てどのあたりでしょう?」

 海には余市の方向にいくつも半島が突き出していて、忍路はおそらく一番手前の犬が顎をつきだして寝そべっているような形をした半島に違いないと見当をつけていたのだが、確かめるためにそう聞いてみた。
 彼は私のスケッチブックを取り上げ、達者なラフスケッチを描いて見せた。そして忍路だけではなく、蘭島や余市までスケッチを示しながら教えるのだった。その手は節くれだっており、漁師なのか礒の香りがかすかに鼻腔をついた。
 私は礼を言い、伊藤整について何か話が聞けないかとさらに訊ねて見たが、文学碑のほかはあまり知らないと言い残して側道に入って行った。 
 下りて来た雪の斜面は、国道から見上げると下りてきたときよりも急な勾配に見え、もう一度難儀をして雪の斜面を登る勇気も出なかったので、私は半分伊藤整の文学碑は諦めて国道を遡って歩き出した。
 ところがいくらも行かないうちに、国道から右手の斜面の上に石碑らしい褐色をした石の頭部がわずかに覗いている場所が目に入ってきた。
 そこはつい今しがた教えられた通りの場所で、伊藤整の文学碑に間違いなかった。

国道を海側に寄れるだけよってわずかに覗いている石の頭をよく見ようと背伸びして目をこらした。そうするまでもなく私はそれが伊藤整の文学碑であることを確信していた。
 しかしここからは上りようがなかった。石碑の覗いている丘は道路から3メートルは超えるだろう垂直に削り取られた雪の壁の上にあった。車の排気ガスが付着して黒く染まり固まった雪で、到底そこをよじ登る気持ちを起こさせるものではなかった。
 かといって、もう一度先ほどの道を引き返して文学碑のある丘に至るという情熱もなかったので、私はそのわずかに見える文学碑を首を折るように見上げながらそこを通り過ぎようとしていた。
 するとその国道の雪の壁に半ば埋もれた形で立っている道路標識が目に入った。その道路標識は山側の歩道に立てられたものなのだろうが、それがまるで雪の壁の
支柱のように、柱そのものが壁にめり込んでいるのだ。その先端はうまい具合にちょうど丘の上まで達していて、そこから雪は平坦になっているのだった。
 それを見た私は今迄の半ば冷めた諦念の気持ちから、にわかに熱いものが胸に湧き上がるのを覚えた。「登れるぞ」そう思ったのだ。
 その思いは、意識すると見返ることなく突き進む類の衝動であった。私は思うと同時に道路標識に駆け寄りその支柱を埋めている周辺の雪に手を差し込み、支柱を抱えるようにしてすさぶって見たりした。
 雪の中でしっかりと支柱をとらえることが出来るのを確認すると、私はもう次の動作に移った。雪の壁にブーツのつま先をけり込んだのだ。ザクッと音がしてつま先が雪の壁につき刺さった。支柱を抱えて体を支え梯子を登るように片足を持ち上げると、次のステップに再びつま先をけり込んで足場を確保する。こうして私は全神経を足と手に集中させて雪の壁を垂直に上り始めた。
 雪は思ったより固く締まっていて、崩れて足を滑られることもなくやがて私は道路標識の先端に達し、そこから苦もなくその上の平坦な雪の丘に登ることが出来たのである。しかしその平坦な丘の雪はまだ柔らかくそして深かった。私は膝まで雪に埋もれながら苦労してそこから先を歩かねばならなかった。

伊藤整の文学碑は4〜5メートルはあろうかと思われる褐色の自然石を立てたものだった。その前面には方形の大理石が埋め込まれ、そこには伊藤整の詩の一節が刻まれていた。
 その詩は伊藤整の詩集「冬夜」の中におさめられている「海の捨児」と題する次のような詩であった。

 私は波の音を守唄にして眠る
 騒がしく絶え間なく
 繰り返して語る灰色の年老いた浪
 私は涙も涸れた壮絶なその物語を
 次々と聞かされてゐて眠ってしまう。

 私は白く崩れる浪の穂を越えて
 漂ってゐる捨児だ。
 私の眺める空には
 赤い夕映雲が流れてゆき
 そのあとへ星くずが一面に敷き散らされる。
 あ々この美しい空の下で
 海は私を揺り上げ揺り下げて
 休むときもない。

 何時私は故郷の村を棄てたのだろう。
 あの斜面の草むらに残る宵宮の思ひでにさよならをしたのだろう。
 あ々私は泣いているな。
 ではまたあの村へ帰りたいといふのか。
 莫迦な。
 もうどうしたって帰りようのない
 遠いとほい海の上へ来てゐるのに。

 でも今に私は忘れるだろう。
 どんな優しい人々が村にいたかも
 昔のこひびととは見知らぬ誰かの妻になり
 祭りの宵には私の思ひ出を
 微笑みに光る涙にまぎらせても
 私は浪の上を漂ってゐるうちに
 その村が本當にあったかどうかさえ不確かになり
 何一つ思ひだせなくなるだろう。

 浪の守唄にうつらうつらと漂った果て
 私はいつか異國の若い母親に拾ひ上げられるだろう。
 そして何一つ知らない素直な少年に育ち
 なぜ祭の笛や燈籠のようなものが
 心の奥にうかび出るのか
 どうしても解らずに暮らすだろう。

 

文学碑には「海の捨児」の前半の部分が刻まれていた。
 私はこの静かな哀切の詩が好きだった。それは早くから故郷を出た私の心情とよく合い、故郷に愛着し、その愛着は決して帰らないこと知っている冷めた私を甘く悲しく包んでしまう。伊藤整もまたそのような思いでこの海鳴りの聞こえる丘を遠い空の向こうから見つめ続けていたに違いない。そして今、こうして私が踏みしめている雪の一握でさえ、伊藤整にあってはひそかに恋人を見るような悲しさを与える故郷の香りであったろう。
 伊藤整が海の捨児であるなら私は一体何に捨てられたのだろうか、ふとそんなふうにも思ってみる。
 その碑を後ろに回るとそこには伊藤整の生い立ちが簡単に記されてあった。後年は芸術院の会員に推されたとあったが、私はそれを知らなかった。
 「若い詩人の肖像」という伊藤整の一冊に感動しここにやってきた。それだけが私の知る全てであったから、このような輝かしい業績を見せられた時、何かそれは私の中にある伊藤整とは別人のように思え、私の伊藤整が急に見知らぬ昔の人になってしまったような違和感を覚えてしまう。
 その気持ちは失望に近かっただろ。私はこの詩だけを見るべきだったと思った。この考えはそうはっきりした形で表れてきたわけではなく、漠然とした一種の甘えの構造でありたわいない私の感傷であった。にもかかわらず私は、この文学碑はもっとさりげないものであるべきだと半ば確信するように思うのだった。

ここから塩谷の海岸がよく見渡せた。それは伊藤整が涙にくれて漂う海であり、かつては彼の青春が浜風を一杯に受けて力強く帆走した海であった。西には忍路のある岬があり、その向こうにはローソクの炎のように突き上がった余市の岬が重なるように見えていた。そしてさらにその向こうには積丹半島がかすみ、目を転ずれば東に小樽へ続く海岸が弓のように伸びている。その石狩湾の外は日本海なのだった。
 伊藤整は若く多情な時期をこの海を見て育ったのだ。彼の青春はこの海と共にあった。時は移っても変わることのない海を前にして立っていると、恋人を思い詩想に耽っている伊藤整が私の中で重なるように思えた。すると、忍路の岬がおぼろに霞んで見え、それは私が見ているのか伊藤整が見た風景なのか分からなくなる。
 おそらく、この辺りは、秋には葡萄の実がたわわに実り、甘い香りを漂わせていただろう。
 そう思い巡らせていくうちに、私の脳裏に里依子の姿が浮かんできた。すると急に現実の空気が私の肌を刺した。このままでは里依子と連絡を取ることが出来ないことに気付いたのだ。
 里依子は私がワシントンホテルに泊まっていると思っているだろう。彼女からそこに電話をするという約束になっていたのだ。そこに宿が取れなかった以上、里依子からの連絡は望むべくもない。彼女がもし、今日寮に帰らずこの小樽でいるのなら、私の方からも連絡のとりようはない。明日会うことも出来ないことになる。
 そう思うと急に心配になってきて、考えあぐんだ末ホテルに伝言を依頼するしかないということの他は思い浮かばなかった。
 とにかくもう一度ホテルに電話してみるしかない。そう思って私はようやくこの地を離れる決心をした。

記念碑から少し雪の上を登って、先ほどタクシーで乗り付けた道路に出るとぬかるんだアスファルトの道を下って行った。
 私はその時、「朝、私は薔薇の垣根をめぐらした家を出て、二十分ほどかかる丘を越え、通学列車に間に合うように駅に行く。」という伊藤整の一文を思い出した。私はこの道がその丘を越す二十分ばかりの道だと思い、その麓が塩谷駅だと考えた。
 しかしふもとまで下りてみると、塩谷駅という先ほどタクシーの中から見た標識があって、それにはさらに山の方に向って矢印が記されていた。その示す方向を見やると、道は小高い丘に向かっていた。国道とは直角に折れまがった小路であった。この道が伊藤整の記しているその場所に違いなかった。私はそう確信して人に尋ねようともせず矢印の方向に進んで行った。
 小さな、アスファルトで敷き詰められた坂道だった。きっと伊藤整の時代にはまだ地道だっただろう。石ころが転がり、時にはその石ころを蹴飛ばしながら歩いたのではなかろうか。
 やがて丘の上に出た。そこから道は緩やかなカーブを描いて谷間に下っていく。その谷間の向い側の丘の中腹に駅が見えている。その間にある谷間は雪で覆われ、小川が黒々と身をくねらせている。
 その美しい雪景色の眺望が私の眼を惹きつけた。川沿いに一筋の足跡が点々と続いていた。私は急いでそれをスケッチした。
 ちょうど今頃なら、小樽から二時過ぎに出る列車がここを通るだろう。出来ればその列車に乗って蘭島まで行き、伊藤整が初めて恋人根見子に会いに行った同じ道程をこの駅からたどってみたいと思った。
 これはきっと悪いことに違いないと思い、駅長や村の大人の人に止められはしないかと考えながら、しかし根見子に逢うという新鮮な心のときめきに胸躍らせながら伊藤整はこの丘を越える道を歩いたのである。

塩谷の駅は時代に取り残されたように、ひっそりと立っていた。待合室には老人が腰をおろして、半分眠っているようだった。
 時刻表を見ると、目論んでいた列車の到着は2時50分となっていた。駅の時計はすでに3時を回ろうとしていた。次の列車は1時間後だと分ると、私は列車を諦めて引き返し、国道に出ようと決心した。
 それにしてもこののんびりしたダイヤを見る限り、伊藤整の時代の通学列車はもう走っていないのかも知れなかった。そう思って駅舎の待ち人に聞いてみると、その通りの返事が返ってきた。ほとんどの学生は、国道を走るバスを利用していると云うのだった。
 山の中腹を走る列車より家並をめぐる路線バスの方が便利なのだろう。そのことがなぜか淋しいことのように思われて、私は撫ぜるように寂れた駅舎を眺めた。

 その駅前に電話ボックスが立っていた。急に里依子のことが思い出された。なんとかして彼女との連絡の方法を確保しておかなければならなかったのだ。
 私は誘われるように電話ボックスに入った。電話機の横に古びた電話帳がつりさげられていたが、そんなものには目もくれず、私は今日泊まる予定にしていて宿泊を断られたホテルに再び電話をかけた。
 財布の中には10円玉が数枚入っており、私はその中の1枚だけを残してすべてを電話機に入れた。
 電話はすぐにつながった。しばらくお待ちくださいというホテルの電話交換手の声があってすぐにフロントを呼び出してくれたが、呼び出し音が続くばかりで、フロントは一向に出なかった。
 かなり辛抱強く待ってみたが、いつまでたっても呼び出し音だけが続き、苛々してもう一度かけ直そうと思った時、ようやくフロントが出た。

静かな女性の声が受話器を通して聞こえてきた。その声に幾分安心したものの、私は電話の料金切れを心配してつい大声になってこの電話の趣旨を説明した。
 今夜そちらに私宛の連絡があること。そしてそれ以外に連絡の方法がないこと。満室で宿泊できなかったために、どうしてもその電話の相手に伝言をお願いしたいこと。
 早口で喋る電話の相手に戸惑いながら受け応えしていたフロントが、ようやく事態を了解してくれ、私はホッとして自分の名前を告げ依頼する内容を伝えようとした時、突然予告音なしに電話が切れてしまった。公衆電話に入れた料金がなくなってしまってのだが、それを知らせる予告音がなかったために、とっておいた予備の10円玉を入れる暇がなかったのだ。私はまだ自分の名前さえしっかり伝えてはいなかった。
 私は急いで最後の10円玉を電話機に入れ、もう一度ホテルを呼び出した。先程の交換手が出て今度はすぐにフロントが出た。しかしその電話出たのは先の女性とは違っていた。焦りながら私はもう一度先の経過を説明しなくてはならなくなり、そういう訳で先程の女性と代わってほしいと頼んだ。しかしそのフロントが先の私の相手が誰だったのか見当もつけられないらしい。受話器の向こうで、私の言った事を繰り返す声がした。その電話を取ったのは誰?焦る私とは対照的に悠長な声が聞こえてくる。時間が尽きて落ちかかっている10円玉が脳裏にちらついて、私は思わず大声をあげたくなる。
 すると受話器から懐かしい静かな女性の声が聞こえてきた。私は時間のないことを気にしながら、早口に要件を伝えた。
 私は自分の名前を伝え、私宛てに掛けてくる相手が里依子であるというそのフルネームを告げた。
 公衆電話が壊れているに違いなかった。私が里依子の名を言い終わったとたんに予告なく再び電話が切れたのだ。
 まだ伝言してもらう内容を伝えていないのであった。

イカレた公衆電話を呪うより、私はただ呆れながら受話器を置いた。するとそのことが急に可笑しくなって、私は知らぬ間に苦笑いをしていたのだろう。ほほがぎこちなく引きつっているのを感じて、そっと顎を撫ぜるのだった。
 財布にはもう10円玉はなかった。そしてたった1枚の10円玉で用は済むのであった。余裕のない目で辺りを見回し、小さな駄菓子屋を見つけてそこに飛び込んだ。やっとの思いで10円玉を得ると、私はホテルに3度目の電話を掛けた。
 交換手もまた要領を得たようで、すぐにフロントの静かな女性の声がした。私が応じると「あぁ」と言って私の名を確認した。私はそれがなぜか可笑しくて、笑いながら「そうです」と応えた。受話器の向こうからも静かな美しい笑い声が漏れてきた。
 里依子から電話があったら、私の方から寮に電話をするということだけを伝えてほしい。私はやっとのことでそれだけを伝えた。
 「予約を取られていないお客様の伝言は出来ないことになっていますが、じゃあ特別にお受けいたしますわ。」ためらいのない柔らかな声だった。
 窮地に差しのべられた救いの主に感謝し私はようやく安心を得て受話器を静かに置いた。すると再び今までのフロントとのやり取りが思い出されてきて、いかにも間の抜けた自分の姿が面白く、いつまでも笑いながら国道への道を急いだ。
 昼過ぎの空は明るく、人もまばらな北の大地で私は、心おきなく自分自身を楽しんでいた。

 

 

6、忍 路

 

国道に出るとすぐに車はつかまった。海沿いに走るとやがて忍路と書かれたバスストップの標識が見えて、そこからトンネルになり、そこを抜けるとすぐそこは欄島であった。
 駅の前で車をとめ、国道を横に入って蘭島の駅はあった。塩谷の駅よりは一回り小さいその駅は濃いオリーブ色に塗られている。小樽で見た明るい飛び出してくるような家々の様子とは違って、内にこもるような沈んでいく空気が感じられて、私は駅に入っていくことをためらった。
 結局そこから踵を返して再び国道に出、私は海岸の方に向かった。
 この駅で待ち合わせた伊藤整と根見子の通った道のりを辿る私の脳裏には、男の後ろから恥ずかしそうに一人の乙女がつき従って歩いている姿が浮かんでいた。
 浴衣を着て、白いテニス帽をかぶった19歳の伊藤整と、髪をおさげにして、赤い大きな絣のついた浴衣を緑色の帯で男の子のように結んだ17歳の根見子。二人はそこから連れ立って国道を左へ、余市の方に歩きだしたのだ。
 夏の日差しが二人の心を焼いて、その強い影が道の上に落ちている。余市への道はすぐ手前に見えている小さな岬を抜けて、12〜3キロ先である。一人はオドオドし、一人は白い木綿のパラソルを差して光の中を歩いて行ったのだ

今日中に札幌まで帰るという強い気持ちがあって、私はそのまま国道に沿って歩くのはやめ、そのまま国道を横切って海岸に出た。
 夏には海水浴場となるのだろう、雪に包まれた浜辺には夏の小屋が寒そうに眠っていた。
 私は雪に埋もれた海岸を岬の方に歩いて行った。目の前に横たわる岬はその先端に忍路港を構えている筈であった。岬は海に突き出た壁のように見え、海岸を歩いて行きつくその先から壁を這いあがるように、白い道がZの字を描いている。
 私はその道を登って忍路の村に行き、そこから忍路のバス停に出て帰ろうと考えたのだ。

 谷にそうて
 枯れた林の傍らをのめるやうに直滑降してから
 僕たちは雪を蹴立てて 
 次々にJumping stop した。
 そして目の下に
 吹雪の忍路の村を覗いた。
 また暑い8月には
 紺の海を小舟に帆を張って
 まっしぐらに
 静かな忍路の港へのり入れた。
 月夜にはよく足駄がけで歩いて通った。
 忍路は蘭島から峠を越したところ
 僕の村からも帆走出来るところ。
 そこに頬のあはいまなざしの佳い人があって
 濱風のなでしこのようであったが。

 青春の日々の中で、伊藤整がうたった詩の通り、忍路はこの岬を蘭島から超えたところにあるのだ。

雪の浜辺には3人ほどの人がいた。何をしているのか知れなかったが悠長に陸揚げされた船の舳先でスコップをふるっていた。
 その一団を遠目にして、私は雪の上を注意深く進んでいった。下手をすると柔らかい雪を深く踏み込んで、ブーツが埋まってしまうのだ。まるで地雷原に足を踏み込むようにしてようやく浜を尽き、細いZ字の道を登り始めた。その道は幾分踏み固められており、滑ることに気を使うだけで、足を取られることはなかった。
 10分ほど急な山路を登ったころに、上の方から数人の人が降りてきて目礼してすれ違った。それから数歩足を運んだ時だった。上から赤い羽織を着た小さな女の子が駆け降りてきた。片手に穂の長い枯草を握っていて、リズムをとって両手を羽のように動かすたびにその枯草が踊っている。
 突然赤い羽織がつんのめるように見えた。女の子が足をつまずかせて、ちょうど私の手前で雪の中に頭から倒れ込んだのだ。女の子は泣きもせず、しばらくそのまま起き上がろうとはしなかった。
 私は急いで駆け寄って見たが、怪我もないようなので、危ないよと言って頭を撫ぜてやった。
 すると女の子は黒く大きな目をまん丸に見開いて私を見た。それでいて人形のように表情を動かず、倒れたまま目を離さないでしんしんと私を見つめるのだ。それがとても長い時間のように思えたのだが、突然起き上がると声も出さず又駆け降りて行った。
 気がつけば下から立ち止まってこちらを見ていた人たちの一団に飛び込み、女の子は父親らしき男の背に乗せられてやがて峠の下に消えた。

私はその少女を見たとき、不思議な感覚を覚えた。それはどうとも説明しがたいもので、不思議としか言いようのない一種の心の動揺であった。
 少女はまっすぐな黒髪をお下げにした人形のようで、髪はつやつやと光り、まるで絵の世界から抜け出して来たように思えた。息をのんで見つめてしまうほどに私を惹きつける何かがあった。
 少女の出現で、静かだった私の心は突然活気付き、坂下に去るとまた静けさがやってきた。私一人が黙々と路を登っていくのである。
 
 やがて峠に出た。そこで私は意外な光景を見た。その光景は私を一気に不安に陥れた。
 私が描いていた風景は、すぐそこから忍路の村が見渡せ、その奥には海岸にそって走る国道が伸びている。そしてその国道から忍路に向かう道がつながり、そこには忍路と書かれたバスストップが見えている。
 だが実際にはそこから見えているのは、薄暗くなり始めた急な雪の斜面と、遠く高い山だった、山が灰色にくすんで私の前に立ちはだかっていたのだ。

 「しまった!!」
 私はそう思った。私はその時前年の夏に野付半島を歩いた記憶がよみがえってきたのだ。その日、私はたった一区間と思って、バスに乗らずに歩こうと決めたのだった。しかし歩いても、歩いても一向に風景は変わらず、目的地にたどりつくこともない。バスでわずか1区間の道のりが、歩いて4時間を要したのである。
 この苦い経験は否応なく私に北海道の大きさを教えたのであったが、今日もまたそうなるのではないかと思ったのだ。私は背中に素早く冷たいものの走るのを覚えた。

蘭島の駅を3時過ぎに出たのであるから、もう4時は回っているかもしれない。時計を持たない私には、空を見るしかない。太陽の光はすでにこの斜面には届いて来なかった。急に日が暮れてきたように思われた。前に立ちはだかるように見える灰色の山は次第に光を失い始めている。それはわずかな暖かささえも吸い取ってしまう魔性のように見えた。一面の雪は明るさを失い、死んだように無言になった。
 不安が一気に膨れ上がり、私は忍路の村がある斜面を急いで下り始めた。雪が足を奪いつんのめり、ブーツの中は雪まみれになったが、私は転げるように駆け下りて行った。
 ふとさっきの赤い羽織の少女が目に浮かんだ。転びそうになるとまん丸の黒い瞳が私を見上げている気がした。なんだかそれが私には面白かった。
 足が完全に埋まってしまう所では、少女のように這いつくばって進んだ。私は全身雪にまみれていた。
 しかしそうして、訳もなく忍路の村に出た。私はホッとすると同時に、妙に考え過ぎてうろたえ、峠を駆け下りてきた自分をきまり悪く思い、人に見られていなかったかと、初めて目にした民家のその向こうを見渡した。
 幸い人影はなかった。私はようやく安心を得た。ブーツの中は濡れて、歩くたびに水を踏む音が聞こえ、みじめな気持ちを足の裏に感じながら村の道を歩いた

忍路の村は眠っている。その閑散とした家並みの、淡くうらぶれた色彩は質素なまま黒ずんでいた。小樽とは一切が対照的に見える忍路は何もかもが耐え忍ぶように雪に埋もれているようであった。それは現代から取り残された雪国の寒村を思わせる深い静まり持っていて私の胸を突いた。
 あたかもそれは、この忍路だけが、時の流れから解放されているようでもあり、その独特の薄墨のような静寂を私は胸一杯に吸い込んだ。
 ある家の玄関で一人の老婆が黙々と雪かきをしていた。忍路で遇ったはじめての人であったが、腰を曲げて雪をすくい取る作業を不自由そうに続けて私に気付きもしなかった。
 私は老婆を驚かせないように、そっと通りすぎながらふと思った。
 「濱風のなぜしこのような人」伊藤整がうたったその人はこの人かもしれない、と。
 頬の淡い、まなざしの佳いその人の容貌はもうずいぶん年老いてしまっているに違いないけれど、もし今もこの忍路にいるとしたら、この老婆のようにひっそりと雪かきをしているに違いない。そして雪かきの手を止めた一瞬に、遠く青春の空気に触れてはなぜしこのように心を揺らせるのかもしれない。
 私は老婆の方に向かって目礼をした。彼女はしかしそのことには気付きもせず、雪かきばかりに心を向けて働き続けていた。

私はそんな老婆の姿を心の方に焼き付けてそのまま通り過ぎた。まばらに立ち並ぶ家々はどれも寂滅とした感があって、そこをぬって通る小道を歩きながら私の思いもまた内の方に向って行くようであった。
 様々なことを思い描きながら道をしばらく行くと、突然目の前に忍路の港が広がった。その一瞬のイメージが、私が思い描いていたものを越えた。大きすぎもせず、小さすぎもしない、心いっぱいの港がそこにあった。
 道はそのまま進むと道は前方がコンクリートの壁に遮られた三叉路に行き当たる。その左右の道が港を取り巻いて続く沿道であると知れたのは、そのコンクリートの壁の向こうを覗いた時だった。
 その壁の向こうに忍路の港が隠れていたのだ。それを見たとき私は、濱風のなぜしこのような人の面影はそのままこの港のひっそりした、つつましい美しさの中に残されているのだと思った。
 港はそのように質素であり、調和のとれた美しさを持っていた。まるで湖のように静かに横たわっている。
 入江はその両翼から小さな岬が取り囲み、両腕を丸く湾曲して抱え込んだように海を優しく抱きしめている。胎内から外海に向って開かれた小さな開口部それがこの港の入江口だった。

小さな漁船が二艘、入江の口付近で停泊していた。暗い鏡のような海面の上に、その漁船は鉛色にうかびあがり、まるで絵を見るような心持になる。そこには心を激しく惹きつけるような不思議な物語が流れているように思われた。
 二艘の漁船は互いに寄り添うようにして静まり、その情景が私の心のリズムとよく合って響きあう。私はしばらくそこから目を離すことが出来なかった。
 あたかもすべてを許しあった恋人達や、老成した見事な夫婦愛を見るような、深い想いが盛り上がる胸を突いた。そしてこれは旅人の感傷には違いなかったが、二艘の静かに寄り添った漁船が忍路の心そのものではないかと思うのだった。
 停泊する漁船に重なるように、忍路港の入江口が見えている。外海に開いた入江は湖のような港の沖に小さく口を開いており、二艘の船がその口を塞ぐように浮かんでいる。その二艘が並んで港を出ていくことは出来ないと思われるほど入江の口は小さく窄められている。
 その入江の口から湾内はほぼ円形に近い椀曲を見せて内海はさざなみさえなく眠るように静かなのだ。

この静かな港が心をとらえるのは、黒々と眠る海面と水際の所々に不思議な岩のせいかも知れない。
 その岩は蝋燭の炎のような形をして水面に立っており、見る者の心に不意打ちを与えた。近寄れば随分大きいだろう岩柱は、化石となった大木が元折れて風化したような趣があるのだ。
 あるいは海岸にそって佇む質素な家のたたずまいがこの忍路の港をより印象付けているのかも知れない。それは言ってみれば、この地が観光地と化し、無情な商業主義が進出すればたちどころに壊れてしまうような、危うげな美しさを持っているといえるだろう。
 このように忍路は、周りを小高い山に囲まれ海に向かってつつましく口を開いて息づいているようであった。ひっそりと人目を避け、変化を求めずここにあり続けたというふうがあり、私の心までもひっそりとさせるようであった。
 迫りくる夕暮れの中で、忍路は無言で横たわり、その浜辺で子供達だけが楽しげに遊んでいた。子供達は棒きれを持って駆け回り、私に対して注意を向ける様子もなかった。犬が一匹仲間に加わっていて、子供達の歓声と犬の鳴き声だけが忍路に活気を与えているようであった。

小さな櫂の舟が浜辺の所々に引き揚げられた簡素な船着き場で、しばらくこのうっとりした湖のような港を眺めながら、私はこの忍路を最後にここを去らねばならないと考えていた。
 しかしふとしたことから、私の思いは再び忍路に引き戻された。それはこの港の持っている不思議な感覚の中である一つの事実に気付いたからであった。

 礒の香りがない。私がしきりに湖のようだと感じていたのは、ただ水面の穏やかさと入江の雰囲気からだと思っていたのだが、浜辺に作られた網の干し場を通った時にそのことに気付いたのだ。
 どこにでもある港の、あの独特の礒の香りが漂ってこない。それは私の知覚より先に体が既にここを湖と理解していたのかも知れない。
 おそらく夏の、漁の盛んな時期であればそういう訳でもないのだろうが、3月のまだ雪の残る忍路の寂れた漁港からは、確かに礒の香りはなく、あたかも山深い盆地に広がって、澱みの果てに澄み切った湖の雰囲気を持っていたのだ。
 そして不思議は、そんな体からの理解の上に成り立った漁船の姿や、網干の風景からやってきた。あるいは入江口に停泊した二艘の漁船と、そこから開ける日本海の見せる水平線であった。

船と網、そして礒の香りが海の男を連想させるものだとしたら、その香りの失われた質素な忍路の港に清廉な少女の面影を感じたとしても、それはあながち私の一人合点ということにはならないだろう。そんな事を考えながら私はこの港を胸一杯に開いて眺め渡した。
 するといつしか、私は里依子を思っている自分に気付いた。
 この港が里依子を呼び起こしたのではなかった。無論それを否定することは出来ないけれども、それ以上に私の心に強く響いたのは、この港を里依子と共有しているという思いであった。
 それはたとえば、私の傍らで里依子が頬を染めて立ち、肩を並べてこの湖のような港を眺めているような、あるいは里依子が忍路の内海に溶け入って私の前にあり、柔らかく語りかけてくる、そんな絡みつくような感覚だった。
 その思いは何の根拠も理由もなかったが、しかしそれでも、その時の私を納得させる力を持っていた。
 私はただ忍路に立ち尽くしながら、漠然とした心の流れの中で今はっきりと里依子を意識しているのだった。そしてそのことが訳もなくうれしく思われるのだった。

現実の重みから逃れて気持ちがふと軽くなるような、そんなひと時を感じていた。見ると水面は一層深い陰りを見せ始めていた。
 私はようやくそこを離れる決心をして港から目を転じた。私は人を選ばず、辺りの村人に忍路のバス停までの道を訊き、その方向に向かってあるき出した。
 その道は蘭島から峠を越えてきた路とは違って、ゆったりとした真っ直ぐな坂道であった。この緩やかな登坂にはのんびり歩く人々の姿があって、その多くが年老いていた。彼らはこれから、いつものように夕餉に向かうのだろう。そして私は札幌に行かなければならなかった。
 この広い坂道はどうやら村の生活路であるらしく、ここが山と海に囲まれた忍路の陸地からの入口であるのだろう。私が越えてきた山路は裏側になるのだ。
 坂道を登り切ると海が見えた。その海は小樽に続く海であり、海岸線を道路が黒い帯のように伸びていた。
 それは先ほど走ってきた国道であった。

忍路の岬の付け根の所にバス停の赤い丸板のついた支柱が小さく見えていた。そこで国道が岬と直角に交差している。この岬を貫いて道は蘭島に至り、そこからさらに余市へと続いてゆく。蘭島から余市の方に向かうと、すぐにまた小さな岬があって、トンネルが穿たれている。トンネルを抜けると小さな川が流れている。
 伊藤整と根見子はその川に架かる橋を渡り、海岸の方に下りて砂浜の渚を余市に向かって歩いて行ったのである。胸の軋む思いに駆られながら、二人は互いに相手を意識しながら、黒く濡れた砂ばかりを見つめて歩いたのだろう。
 その砂浜をしばらく行けば、二人が並んで腰かけた灌木の生えた草むらがあるはずであった。若い二人の情熱を燃え上がらせたその草はらは珍しくもない風景であっただろう。しかし若い二人にとっては特殊な意味をもつ場所となったのである。
 そう考えてみれば、蘭島から余市に向かう海岸もまた私の心を掻き立てる魅力を持っているのではないかと思えるのだった。
 いろいろに考えを巡らせていると、ついに行かずに終わろうとしている余市に対する未練がわずかに湧き上がってきた。だがそれは、今日のうちに札幌に帰らなければならないという思をしのぐものではなく、やがて私は忍路のバス停に立っているのであった。
 そこには数人の先客が並んでいた。私はこのバス停が小樽方面かどうかを訊いただけで、列の後尾で黙々と自分の世界をさ迷うのだった。
 すぐ横に見えるトンネルは、ひっきりなしに通る自動車のエンジン音で切れ目のない耳鳴りのような轟音を立て続けていた。それはあたかも、私の中で人格化された忍路の岬のはらわたの喘ぎのように思われて、いくらかの気味悪さを感じないわけにはいかなかった。
 それでも海は静かで、水平線の彼方までゆっくりと夕暮れを受けいれていくようであった。
 幾ばくもしないうちにバスがやってきて、いかにもあっけなく私を小樽の街に連れ去っていった。

 

7北 大

 

札幌の駅に着いたのは6時を過ぎた頃だった。私は預けておいた手荷物を受け取って、駅の案内所に入って行った。宿をとらねばならなかったのだ。
 このあたりに近く安いところ、そういう条件を伝えると、それならここがいいと思いますと係員はこたえ、私がそれでいいと言えばすぐに電話で確認を取って予約券を渡してくれた。そして彼はホテルまでの道順を図を書いて示し、丁寧に教えるのだった。その態度にさりげない優しさが感じられて私はこの中年の男性が好きになった。素朴な人の心の触れ合いが私を暖め、暮初めた札幌の街にまで愛着を感じた。
 教えられた宿はビジネスホテルで、ちょうど北大の正門に面した道路の一角にあった。
 札幌では、民宿のようなものはなく、安い宿と言えばビジネスホテルなのだと、いつだったか里依子が私に教えたことがあった。ホテルを目の前にして私はそんな事を思い出していた。
 ホテルに落ち着くと、急に空腹が襲ってきた。今日は朝からパンを二つ食べただけだったことを、私はその時になって思い出した。

私は食事をとるためにホテルを出た。好みの店を探す余力もなかったのでホテルのすぐ横あいにある小さな店に入った。「えずや」というどうにも腑に落ちない名をつけた、安い食堂であったが、中は一見して北大の学生相手の店だということが分かった。
 たくさんの漫画が本棚にあって、学生らしい青年が一人先客でいた。彼は漫画を見ながら大盛りのピラフを食っていて、私に気付きもしなかった。
 私は安いメニューを見ながら厨房に向って注文し、待つ間にもう一度ゆっくり店内を見回した。どこかの工事現場に設けられた飯場のように陰気で飾り気のない雰囲気の中で、漫画本のあふれた本箱だけが妙な活気を与えていた。
 その本箱のすぐ横にピラフを食う学生がいる。彼の眼は漫画に吸いついていて皿の方は全く見なかったが、しかし器用にピラフをすくっては過たずに口に運んでいた。
 幾分感心した面持ちで学生を見ているうちに、漫画の本箱の上に十数冊の大学ノートが立てられているのに気付いた。そのノートはどれの手垢で薄汚れていた。
 何気なく手に取ってみるとそれは学生たちの雑記帳だった。この店に集まる学生たちが気ままに自分の思いや日記などを書き綴っているのだった。
 パラパラとめくって見ると、そのほとんどが北大の学生の記事だったが、中にはこの店の噂を聞いてやって来たという女子高生のものもあった。

どうやらこの店は学生たちのサロンのような場所であるらしかった。そしてこのノートを目的にやって来る常連もいるのだ。
 その雑文の折々に出て来るこの店のママは、学生たちにずいぶん慕われているようで、そのノートにはママと学生たちの様々な心の交流はさわやかで心地よかった。
 私は探すように厨房を見たが、ママらしき人影はなく、若い男がエプロンをかけてストーブのそばに立っているだけであった。ぼんやりと丸い大きな盆を両手で持って、自分の足を丸い盆で隠すように突っ立っている。それが私には面白かった。
 私は再びノートに目を落とした。学生らしい悩みや夢、冗談や揶揄などがほとんど隙間なく書きこまれており、私は知らない間にその中に引き込まれていった。
 すると様々な雑文の中に一つのつながったメッセージの交換が私の気を引いた。それは一つの恋が生まれていく過程を写し取っているように思えた。
 一人は木の葉某というペンネームで再三登場している学生で、世紀の文学作家と自ら称して短編を連載し、あるいは人生についての思いなどを書いていた。
 その文面はいかにも学生風の楽観があり、肩を張って大胆を装う姿が想像できるのだった。
 この男の放埓で楽天的な人生論に対して、ある日無記名の女性からささやかな数行の疑問が投げかけられたのだ。

その女性からのメッセージは、思いあぐねたもののように、途中で書き込みをやめ、その書いた数行の文字をあたふたと横殴りの線で消されていた。しかしその消された文面は、線の下から十分読み取れるのだった。
 男はそれを読み、彼女の完結しない、しかも結局は消された自分への批判を取り上げ、反論を書き込んでいる。
 「無名の、私への批判者よ」
 彼はそう呼びかけ、一層誇らかに自分の考えを示し、息まく長文でそれに答えたのだ。
 すると女性の方から、今度ははっきりと自分の考えが書き込まれた。それは消すこともなくノートに残っている。その文章はたどたどしいものだったが、しかし女性の真剣さはよく伝わっていた。
 人生はその時々を楽しんで生きていけばいいという男の主張に対して、女性はもっよ自分に正直に、真剣に生きなければならないのではないかというのが彼らの論争の趣旨だった。
 そのように主張しながら、女性は自分の思うように生きられない苦悩と迷いを文面ににじませている。それは男の大胆な明朗さとは対照的で深刻だった。
 男は女性に対して、その放埓で大胆な姿勢をどうにか保とうとしながら、しかし徐々に彼女の真剣さに引き込まれてゆくようだった。
 男の空威張りの大きな笑い声が、一人の素朴で真剣な問いかけにたじろぎ、背中に冷や汗をかきながらなお笑い続けなければならない羽目に陥った男の姿が思い浮かんできて、私は思わず微笑んだ。

ノートの中の二人のやり取りがそんな風に続くうちに、男の方が女性の気持ちを受けて示すいたわりの気持ちが、相変わらずの文面の中に表れはじめた。そして女性の方も、男の放埓さの中にある確かなものを感じたのだろう。彼の明朗闊達な文面にすがるような様相を見せはじめ、その度に彼女の文章は明るくなっていった。
 二人のやり取りが、他の学生の雑文の合間にうずもれるようになりながら細々と続けられた。やがて、
 「私はこのノートのおかげで明るくなり、この店に来ることが大変好きになってしまった。」という文章があって、それを最後に女性はノートから姿を消してしまった。
 私は出された量のある飯を、先客の学生のようにノートを読み続けながら口に運んだ。何冊かのノートを手にし、食事を終えると私は店を出た。その時ちょうど私と入れ替わりに、学生風の男女が身を寄せ合うようにして店に入って行った。
 私は夜の札幌の街を歩いて見ようと思っていたのだが、思い直して、道路の向い側にある北大のキャンパスに誘われるように足を向けた。

夕刻に見る北大はとても大きなもののように思われた。常識にあるスケールを超えた空間が雪にまみれて静まっている。門をはいるとそんな光景が私を驚かせた。
 大きな常緑樹が、心をはみ出すような広い空間を取って何本も立ち並んでいる様は、童話に出てくるような大男の世界を連想させて、そこからすでに私の感覚はずれ始めていたらしい。
 あるいは大きな建物が実に贅沢な敷地の上に建ち並び、それが私の心の間合いを引き伸ばして妙にくすぐったいのだ。
 ちらほらと学生達の姿が雪明りの中に見えた。それが私を現実に引き戻してくれた。やがてクラーク博士の胸像があった。それには一向に心動かされはしなかったが、そこから連想される札幌農学校という名が、北海道大学という名称よりもどれだけいいか分からないと思うのだった。
 その向こうに並木を見通して北大の主屋がそびえている。それは雪明りの中で黒い大きな塊のように見えている。広い交差点があって、その一方が正門に続いている。要するに私は正門から少し北側の通用門からここに来たのだった。

主屋に続く広い通りは左手に大きな木が巨人の世界を思わせるスペースで並木を作っており、右手には色調豊かな淡い色合いの木造建築が並んでいて夜の雪によく合っていた。
 大時計を間近に見上げ、やがて右に折れ、左手に主屋をかわしながら雪の残ったほとんど人の歩いていない白い地面に足を踏み込んでいった。当り前の所を歩いても面白くない。その時そう思ったのだ。
 主屋の側面が尽きるころ、雪の地面が一段低くなっているところに出た。そこからは土のむき出しいなっている細い道がまっすぐ西の方に伸びていた。キャンバスの上に墨で一本線を引いたように雪面に一丈の黒い線が沈み込んでいるように見えた。私はこの道を行けるところまで行こうと思った。北大の西の果てまで行ってみてもいいと思ったのだ。人影は完全に途絶えていた。
 道はいつまでも続いた。予想を超えてどこまで行ってもその道の果てはやって来なかった。闇の中で視界はせまく、どこを歩いているのか分からなくなる。気おくれがして幾度か引き返そうと考えたが、そのたびに思いとどまって私はその先に進んで行った。
 私はこの道の先に何があるのか知らなかった。未知なるものに向かう不安と期待が入り乱れ、せかされるように足を運んだ。道以外に雪ばかりが見えた。いつまでも変化はなかった。 

大学のキャンパスとは思えない長く細い道だったが、やがてその道を横切る道に出会った。一人が歩けば一杯の黒い道が私の左右に通り、この交差点をさらに先に進めば、背の高い木立が一群の影を作っていた。
 私はそれを見て、咄嗟にポプラ並木に違いないと思った。するともうどうしてもそこまで行かなければならないと思うのだ。
 「関係者以外の者の立ち入りを禁ずる」という立て札が道の前に立てられていたが、私は構わずその先に進んで行った。
 私の歩いてきた道は、結局ポプラの並木路に通じていた。そこに林立するポプラの木は両腕で抱えても二人がかりだろうと思われるほど大きかった。そしてそれはまっすぐ天に向かってそびえている。その天は暗く、星の光さえなかった。
 それでもわずかばかりの外灯と雪明りのためにポプラ並木は漆黒の樹形を見せているのだ。
 並木は4メートルほどの間隔で両側に立ち並び、道にそって見通す奥の空間が道の上からほのかに白く細長い柱のように立ちあがって見えた。
 太い幹の後ろから何者かが飛び出してきそうな不気味な気分に襲われたが、もとより誰もいるはずはなかった。
 私は首が折れるほど傾けて梢を見上げた。道がそのまま天に昇ったように、細長い空が燃えていた。
 私は見上げ、見通し、振り返り、忙しく首を回しながらその100mばかりの並木路を通りぬけた。
 道はそこからまだ西に向かって続いている。私はこの北大の広さにただあきれ果てそれ以上先に進むのをあきらめた。

私はそこからまだ西に続く道をあきらめ、北の方角に交差する道に進んだ。するとその先に車が一台止まっていた。室内灯がついてかすかなエンジン音が聞こえていた。今頃こんなところでといぶかる思いよりも、私自身が闖入者であるという気持ちが先に立って素早くその横をすり抜けた。
 ところどころに小さな建物が建っており、どうやらここは農場だと思われた。そのような建物横手に巻きながら進んでいくと道はさらに細くなり、やがて足の幅ほどの道が心細く続いて行き止まりになってしまった。
 引き返して別の道を行くと再び建物の横で行き詰まりになってしまう。だが私の立ち止まった所は今までのような地面とは違っていた。歩くことばかりに気を取られていて気付きもしなかったが、立ち止まって足元を逡巡して思わず私は自分の顔を覆った。
 足元はふわふわとして柔らかく、じっとりと濡れていた。それは積み重ねられた草の上であるらしく、よく確かめようと顔を近づけると下からむっとした生暖かい気体が立ち上ってきて、馬糞の匂いが鼻をついた。
 暗くてその様子はよく分からなかったが、どうやら厩舎の使い古された敷き藁の山の上であるらしくその山の上で私は引き返しもならず、進むことも出来ないまま立ち尽くしているのだ。
 ぶよぶよした馬糞まみれの藁の山の上で、下手に動けば足を取られて全身が想像もしたくない惨状となるだろう。
 その間にも生暖かい、むせるような匂いが足元を踏み乱す度に立ち上って私の鼻を突き、私は口元を手で覆いながらその場を耐えるしかなかった。

私は雪に埋もれた堆肥の山の頂上で身動きが出来なくなり、情けない恰好でオロオロと考えあぐねていた。
 やがて窮して私は前方の道のない雪の上に飛び降りるしかないと思われた。しかしその雪の下には何があるか分からない。肥溜めでもあれば私は最悪の状態に陥るだろう。足場の定まらない腐った豆腐のような頂に立たされて、見まわす周囲の白い雪の無表情な静まりが、そのどこに足を踏み入れても私をさらに窮地に陥れる罠のように思わせるのだった。
 私はいつまでも決心するとことができず、鼻につくアンモニア臭に悩まされながら必死で周りの雪の表情を探した。そしてようやく前方にかすかな足跡を発見したのだ。
 その足跡はなめらかな雪の上にひとつだけ残されていて、それが右足なのか左足なのかも分からない。なぜあのような足跡が出来たのか、考えてみれば奇妙なことであったが、今の私にはそんな疑問よりも救いの御印なのだった。少なくともあの地面だけは肥溜めではないのだ。
 それでも私は何度か逡巡して、ようやく思い切って飛び降りた。地面は固かった。
 しかしそこから先の雪は吹きだまりになっていて、ほとんど全身を雪まみれにして進まねばならなかった。相変わらず悲惨な状態に変わりなかったが馬糞まみれになるよりはましだろうと慰めながら、私は非常な努力をして建物の裏を回り、やっとの思いで道に出ることができた。

こうした失敗を繰り返すうちに、どうやらこの辺りの道はこの農場から先には行けないのかも知れないと思い始めた。ポプラ並木からやって来て、かまぼこ屋根をした小さな建物が並ぶこの農場をめぐる道は袋小路になっているのだ。主屋のある通りに行くためにはどうやら引き返すしかないらしい。
 はるか向こうに主屋がその裏側を見せていた。そしてそこに続く地平はここから一面の降り積もった雪の原であった。
 雪原を見渡した時、突然私の思いの中に一つの考えが浮かんできた。
 「雪の上を歩こう」
 同じところを歩くのはつまらない。今歩いてきた道はもうすでに自分のものになっている。その細く長い道を引き返すよりも新たな冒険の方がいいに決まっているだろう。雪の上を歩くのはこの二日の間に何度も経験があったし、何よりここを一直線に行けば主屋への最短距離だと考えたのだ。
 ゆっくりと注意深く雪の上に登って行った。以外に雪は固かった。ブーツの踝辺りまで踏み込んで足元は落ち着いた。それは伊藤整の文学碑のある丘を歩いた時と同じ感覚だった。
 しかしやがてその雪原は私の足を膝まで奪うようになったのだ。進み始めてまだ数刻も経っていなかった。焦って足を動かせば一層深く雪に埋もれてしまう。主屋に緯たる雪原が延々と続いている。私はただ進むことだけを考えた。
 やっとの思いで雪原を半ばまで来たとき、急に深くなって私は腰まで雪に埋もれてしまった。
 私は不安より、こんな姿を誰かに見られはしないだろうかという心配から辺りを見回した。幸い人影はどこにも無く、周辺の建物には灯りも見えなかった。ただ遠くに主屋を中心に並んでいる建物からはチラチラと灯りが届いていた。
 私は腰まで埋もれた体を泳ぐようにして抜き出し、這いつくばり転げながら雪の上を進んで行った。数時間前、小樽を彷徨していたことが夢のように感じられた。今この瞬間にあるものは深い雪と、そこを進もうとする私の思いと焦りだけだった。

やっとのことで道にたどり着いた。私はその硬い土の上がなんだかまだ揺れているように感じられた。歩めば応えてくれる黒い土が何より有り難いと思うのだった。
 そしていま自分がやってきた雪原を振り返ってみた。整然と静まり返った雪肌の上に一条の乱れた体の跡が続いているのを見たとき、私は満足に似た気持ちと照れくさいような気持の混ざり合った、奇妙な感情を覚えた。
 キャンバスにひいた一条の線のように、この痕跡は雪が溶けるまで残り続けるだろう。それは私の全身で描いた絵と言えるかも知れない。
 日が昇ってあらわになったこの絵を見て、北大の学生たちは様々な物語を想像するのだろうか。
 私は結局、北大の広さに翻弄されてしまったのだったが、その思いは何やら満ち足りた気持ちを広げてくれるようだった。
 北大の門を出たとき、初めて寒さが背中の方から立ち上ってくるのを感じた。酒を飲みたいと思った。
 ちょうど門を出たところの、その向い側に小さな居酒屋があって、私は選ばずそこに入った。カウンター式の、十人も座れば一杯になるほどの店であった。カウンターの中では若い男女が機敏に立ちまわっていた。
 女の方は大柄で美人だった。そして男の方は背が高くやせ形でおっとりした若者だった。二人はどうやら夫婦であるらしく、息が合っていて気持ちのいい印象を私に与えた。

店には先客が一人あって、ひっそりと背中を丸め手酌をしながら思いに耽っているように見え、中年の苦さが感じられた。
 その男から二席ほどおいて横に座った私は、肴を待ち切れずに出された酒を飲んだ。酒は冷えた体にしみわたるように広がっていき、一日の出来事が自然に思いこされるのだった。
 十時ごろには里依子に電話をしなければならない。帰っているだろうか。もしいなかったら伝言を頼まなければならない。その時はどう言えばいいのだろう。
 どう考えても女子寮の里依子の同僚に私のホテルを伝え、連絡を頼むのはあまりいいことのようには思えなかった。 
 あれこれ考えながら渋面で口に運んでいると、隣の中年の男が体を横に倒すようにしてスルメの乗った皿をゆるゆると私の前まで押してきて、よかったら食べませんかと言った。肴なしで飲んでいる私への気配りだったのだろう。
 その唐突さにびっくりしたが、その人の態度が実に謙虚で自然んであったために、私は屈託なくいただきますと云い、喜んで箸を運んだ。
 やがて私の注文した肴が次々と出てきた。
 「一緒に食べましょう。」そう言って私は男の近くに席を移り、二人の間に皿を並べた。
 互いにうちとけて喋るうちに、彼は東京から商用で札幌に来たのだと言った。小樽が故郷で、懐かしさのあまり今日一日小樽を見て回って来たのだと淋しげに笑った。
 私は奇声をあげてその偶然を喜んだ。

偶然と言えば、つい2か月ほど前、大学の友人と酒を飲んで酔い潰れ、彼の寮に泊まった時に与えられたのが伊藤整の「若い詩人の肖像」であった。
 そして数日前、しばらく里依子からの手紙がないことに不安を抱き、どうしても彼女に会いたくなって千歳までの航空券を買ったのだ。里依子に黙っていて、一瞬でも彼女に会う機会があればそれでいいと思っていた。そのことを千歳の居酒屋で打ち明けると、悪趣味だと里依子は笑った。
 ところが実際には出発の前日に里依子からの手紙が届き、彼女の心に安心してその夜里依子に電話を入れたのであった。
 その時彼女は驚いたようだが、爽やかな声で応えてくれた。
 私が会いたいと言うと、土曜は小樽の親戚の家に行くことになっていて、次の日はニセコに帰るつもりだと言った。ニセコは彼女のふるさとであった。
私ががっかりした声を返すと、
「でも、じゃあ日曜は田舎に帰るのをやめにします」と明るい声が返ってきた。
私の心は突然100万ボルトの電飾が輝いたように思えるほどだった。
 そしてこのとき、伊藤整と小樽散策を結びつけることになったのだった。

里依子の口から小樽という言葉を聞いた瞬間、私の中でそれは伊藤整と激しくつながった。私は里依子にその話をした。そして明日、彼女と一緒に小樽まで行きたいと申し出た。里依子が親戚の家に行っている間私は伊藤整の小説の舞台を訪ねてみたいと思ったのだ。
 それはいわば、かかわりない二つの偶然が私の小樽散策を必然たらしめたのであった。これは人のつながりのありふれた形なのだろうか。
 思えば昨年の夏、私が初めてこの地を旅し、千歳から札幌までの列車に乗り合わせたのが里依子だった。彼女は私の前で突然サンドイッチを食べ始めた。それがとても無邪気な仕草だったので私は思わず笑い、どちらからともなく会話が始まったのだった。長い休暇が出来たのでふるさとに帰る所だと言って、里依子はニセコの駅で列車を下りて行った。とっぷりと日は暮れていた。それから私たちは互いに手紙で様々な思いを語り合うようになったのだ。
 その一方で、互いに地方から出てきて大学で出会った友人がいなかったら、私は今ここにいなかっただろうし、北大の前の小さな居酒屋で小樽の人と出会うこともなかっただろう。男はあたかも伊藤整のように小樽を出て、浪の捨子のように小樽を懐かしんでいる。
 小樽と別れ、長い間四国に住み、やがて東京に出て行ったのだと男は自分を語ったのだが、その四国は私の友人のふるさとであることを思い起こさせた。
 この居酒屋の中で人のつながりが輪のように広がっていくことに私は言い知れぬ不思議を感じた。
 あるいは私が大学で友人を得里依子を知ったことが、この男との偶然を必然に変えたといえるのかも知れない。やがて彼と別れ、二度とふたたび会うこともないであろう必然をも含めて、私は次第に酔って虚ろになっていく頭で考えるのだった。
 しかしこの人のつながりは、それからさらに輪を広げることになるのであった。

ひとしきり小樽の話が続き、男は今夜すぐ隣の『えびすや』に泊まっているのだと言った。
 もしや、札幌駅の案内で親切な係員にここを教えられたのではと訊くと、男は驚いたようにそうだと言って頷いた。
 実は私もなんですと言えば大げさにのけどって笑った。私達はその係員の特徴を語り合い、どうやら同じ人だということで頷きあった。
 すると板前がカウンター越しに声をかけてきた。
「みなさん『えびすや』に泊まっているお客さんですか」
 私たちが頷くと
「それなら先に言ってくれればよかったんです。この店はえびすやさんには特に贔屓にしてもらっていますから安くしときますよ」
 板前はいくらか並びの悪い、しかし白くてきれいな歯を見せて笑いかけた。そこに女性も加わってきて、賑やかな談笑が続いた。
 やがて店の二人は仕事の手を動かしはじめ、言葉少なになって行った。そして中年の男がのそりと立ち上がり、「明日社用がありますので私はこれで。」と言って店を出て行った。
 そして無言が訪れ、私は自分の世界に入り込んで脈絡なく里依子のことを考え始めるのだ。
 酒が苦くなり、程なく私も店を出た。外はしんとして冷え込み、動くものはなかった。

ホテルに帰ると10時を過ぎていた。幾分迷いながら里依子の寮に電話を入れた。もしも帰っていなかったらどうしよう、今だに心決めかねていたために、私は祈るような気持で受話器から響く呼び出し音を聞いていた。
 里依子はいた。電話に出た女性の声に彼女の名を告げると、その女性は大きな声で里依子の名を呼んだ。そして里依子の声が受話器から聞こえてきた。
 彼女は寮に8時頃に帰ってきたということだった。
 
「ホテルの方に電話したら泊まっていないと聞いたので心配していました。」
里依子の安らかな声が私の心を柔らかく包むように思われた。
 昼間何度も電話をかけ、大騒ぎをして頼んでおいた伝言が里依子に伝わっていなかったことを私は言い訳のように説明し、ホテルの不誠実に憤慨して見せたが、内心は里依子の声が聞こえるだけですべてを許しているのだった。
 里依子との会話は朝の重苦しい気分とは違って、心の底から通じ合える響きを持っていて、ただそれだけで他に何もいらないと思える心の幸せを感じていた。
 私はゆったりと、ベッドに背を伸ばしながら話した。そして里依子は、あのクリーム色の寮の一室でどんな風に電話をしているのだろうと想像しながら受話器を強く耳に押し当てるのだった。

朝、里依子は私と別れてから、伊藤整の『若い詩人の肖像』を買って読んでいるんですと話した。
 列車の中で夢中になって読んで、もう彼が教師になる所まで読みましたと言ったとき、私は激しい喜びを感じた。それは純粋な喜びの伴う驚きだと言ってもいいだろう。私は知らぬ間にベッドから起き上がって、受話器にしがみついていた。
 今日歩いて見たすべての風景を里依子に伝えたい衝動に駆られ、私は小樽や蘭島、そして忍路や塩谷のことを話した。
 その時私は、忍路の港を見ながらその風景を里依子と共有しているような感覚を体験した事を思い出した。
 今ここで私が感覚している忍路港が、なんだか私ではなく里依子が感じているもののように思えた一瞬があったのだ。
 それがどういう理由であったのかは分からなかったが、しかしそのことで心は随分満たされていた。
 私は里依子を強く意識していたのだろう。そしてその頃里依子は伊藤整の本を買って読みふけっていたというのである。彼女の意識の中にも忍路港があったのだ。私の思いは決して偶然ではなかったと思えることが私にはうれしかった。
 私はいつの間にか酔いから覚めていた。

私たちは明日、十時半に札幌駅で待ち合わせ、美術館に行き時間があれば映画でもと約束した。
 あまり動きまわって疲れてもいけないから、そんな風に決めましょうと言うと、年寄りみたいに言わないでくださいと、笑いながら里依子は私をたしなめ、それからじゃあそうしましょうと応えた。
 二人の会話には陰りのないしなやかさと明朗さがあって、私の心は幸福に満ちていた。
 おやすみを言って電話を切った後も、私は里依子と共にあって窓から札幌の夜を眺めながら、深く感謝するのだった。
 心が踊っていた。
 横になって眠ろうとしても、所在なく腕立て伏せをしたかと思うと鏡の前に立ち顎をしごいて見る。わずかに覗いている鼻毛の先が気になって、それを押し込んだり、引き抜いて涙を流したりした。
 風呂に入ろうとして浴室に入り、面倒になってまたベッドに戻ると、窓辺が気になって外を眺める。
 それでもやがて、眠りについた。

 

 

8道立近代美術館

 

浅い眠りから目を覚ました。夢を見たようだった。なにやら奇妙な感じだけが残っていて、どんな夢であったのか思い返して見てもついに思い出すことはできなかった。
 まだ早い時間で眠ろうとしたが、想いがさまざまに働いてどうすることもできずやがて諦めて起きだした。
 里依子との約束の時間まで特にすることもなかったので、私はホテルを少し早めに出て、昨夜の北大をせめて主屋だけでも明るい日の中で見ておこうと考えた。
 十分ゆとりを持たせて昨夜の門から北大に入って行ったが、明るい朝の日差しを受けたその場所は、現実に帰ったもののように当り前の風景として私の目に映るのだった。しかし昨夜雪原に描いた私の体の痕跡だけはその時の夢の痕跡を残しているかもしれないと思い、そちらに向かった。
 ところが途中から時間が気になり始めた。私は時間に追われるのがいやで時計を持たなかった。思わぬ時を過ごして約束の時間に遅れるかも知れない。そう思うと私の心は不安の色に満たされた。
 あわてて道を引き返し、私はぬかるんだ道を足早に歩きはじめた。
 里依子は今頃約束の場所に来ているかもしれない。そう思うと、寄り道をしようとした自分が情けなくなってくる。想いが負の方向に傾くと、心は不安をつ作り出す。私は約束の時間を三十分も四十分も遅れているかもしれないという不安を追いかけるように駆けだすのだった。

焦って小走りになりながら札幌駅に着いた。駅の時計は約束の時間を10分ほど過ぎていた。あわてて辺りを見回したが里依子はまだ来ていなかった。
 列車の都合で遅れているのだろう。ホッとして心にゆとりが出来ると急に絵を描きたくなった。私はスケッチブックを開いて駅舎に行きかう人々の姿を描きはじめた。そして里依子がやってくるだろう改札口の方をちらちら眺めやるのだった。
 日曜日の駅の構内は若者たちの姿であふれていた。私の周りには待ち合わせの人々がたくさんいて、どの目も待ち人を求めて遠くをさまよい、期待に胸膨らんでいるように見えた。
 流れる視線が輝き、笑顔と共に一点に注がれる。待ち人が来たのだ。彼らは短い言葉を交わし、肩を並べあるいは手を取り合って次々と札幌の街に向かっていく。
 しかし里依子はまだ来なかった。少しずつ私の頭に不安がやってきた。
 約束の時間を間違えたのだろうか。
 私が遅れたので、帰ってしまったのではないだろうか。
 彼女に限って、そんなことは考えられなかった。すると何か事故にでも遭っているのではあるまいか。
 私はこうして里依子を待つ間、考えることのできるほとんどを思い浮かべていた。スケッチの手はいつの間にか止まったままだった。
心配が不安になる。そして私を苦しめ始める。これはいったい何だろう。はたしてそれは現実なのか幻か。
 不安の目が改札口に里依子の姿を認めたとき、重苦しい気分は一瞬に消えた。始めからそんなものはなかったかのように、私は微笑み手を揚げて里依子に合図を送った。里依子もそれに応え、やがて私たちは間近で互いを見やり、里依子は遅れたことを詫びた。私も今来たばかりだと笑って応えた。
 里依子は濃紺のコートを着て胸元を引き締め、凛とした姿で立っていた。黒い可愛らしいショルダーバックを肩にかけ、左手を肩にかかったベルトに添えて少し俯くようにゆっくり歩いた。
 私は里依子の横で、彼女の歩調に合わせながら時々眼を細めるようにして凛々しい里依子の姿を見た。
 彼女は風邪をひいたのだと言って、時々かすかに鼻を鳴らした。なんだか疲れた様子が見えてきて、無理をしてここまでやってきたのではないかと思われた。

無理をしている。そう思うと私は里依子が健気なもののように思えてならなかった。考えてみれば、千歳に発つ前日に突然電話をし、会いたいという私に田舎に帰る予定だった里依子がそれを取りやめて会ってくれたのだ。
 しかも明日、大切な仕事を控えていてどうしても休むわけにはいかない体を、風邪気味であるにもかかわらずこうしてやって来てくれた。それは私にとって言い知れぬ喜びだった。
 同時に私のためにこうまでしてくれる里依子に済まないという気持ちが盛り上がってきて、それが感謝の気持と混ざり合って私の胸に苦いものを積み上げていくようにも思えるのだった。
 しかしやがて元気にふるまう里依子を見ているうちに、彼女に会えた嬉しさがそんな私のすべてを包み込んでくれ、札幌の街が愛らしく輝くのだ。
 里依子の案内で私たちは地下鉄に乗り、道立近代美術館に向かった。
 地下鉄の電車は私の予想とは違って、頭が斜めにつぶされたようなユーモラスな形をしていた。そして車輪には大きなゴムタイヤがついていた。その車輪はホームに滑り込んできた車体の側面に、そのホームから上にもタイヤの孤を見せているほど大きなものであった。
 それを見たとき、昨夜北大の前の居酒屋で若い板前が話していたことを思い出した。彼はここの地下鉄は車輪がゴムでできていると言ったのだ。話には聞いていても、それはおそらく車輪の目立たない所に使われているのだろうと思っていただけに、思わず笑ってしまうのだった。

「どうしたの?」私が突然笑ったので、里依子が不思議そうに私を見た。
 私は昨夜の居酒屋の話をし、札幌の地下鉄の車輪のことを説明した。ここでは普通なんですけどねと、里依子が笑顔で還した。
 そうすると、夏、この地下鉄には風鈴が付けられるのだという板前の信じられない話も、本当のことなのかも知れない。思いだして私は里依子にそのことを聞いてみた。すると彼女は頷き、車両の天井を指差した。そこには大きな通気口が取り付けられていた。そこに風鈴が取り付けられるのだという。
 空調の風の流れに風鈴が涼しげな音を奏でるのだろうか、その風鈴がどの部分にどんな風に吊下げられるのか、私には想像出来なかった。しかし夏、風鈴の音を聞きながら電車に揺られるなど、誰が考えたのだろう。
 電車はゴムタイヤのために、地下を走っているにもかかわらず、騒音がなかった。静かに走って行く電車の中で風鈴は優雅な音色を出し、それはよく車内に響き渡るだろう。それは大都市の騒音電車とは違って、多くの潤いと夢を乗客に与えることだろう。私はそのような北国の人々の心情を羨ましいと思った。
 あるいはこの地の人々は色彩を実によく楽しんで使い、それを生活に取り入れているようなところがあり、この地下鉄の構内でさえ、その意味でいかにも北国らしかった。

西18丁目という駅から再び地上に出て、しばらく歩くとそこはもう道立近代美術館である。そしてこのあたりは、西の方に山並が近かった。
 のんびりとして横に広がる山々は、広い平原の向こうに浅い雪をかぶっていた。
 「あれが大倉山です」里依子が山を指差して教えた。
 その山は一番手前にあって丸くこんもりとしていて、中央から長い鼻のように白い直線が垂直に伸びていた。札幌冬季オリンピック会場としてテレビで何度も見たことのあるジャンプ台がそれらしかった。
 雪の鳥人達が札幌の街に向かって飛翔する。そのレーンがそこだけ純白に輝いていた。そのような事を里依子に言ったが、しかし私にはそれ以上の感慨は起って来なかった。それよりもむしろその大倉山の背後に、遠く山並が続いており、名も知らぬそうした眺望の方がかえって私の心を惹いた。しかし私はそのことを里依子には黙っていた。
 昨日と違って冷気が強かった。白い息が音を立てるように頬を伝って流れた。気丈にふるまって目立たないようにしているが、風邪気味の里依子を見て、私はあまり歩き回れないなと思った。つらそうな里依子を見るのは始めてだったために、私の意識はいつもそこに帰ってくるのだ。

美術館は合掌造りを模した近代的は建物で、まだ新しかった。それを里依子に言うと、この美術館が出来てまだ4.5年だと彼女は答えた。
 館内は人がまばらで、ゆったりとしていた。大きすぎず小さすぎず、ちょうど心にぴったりくるスペースの1階フロアがあって、常設展示室が見えた。
 自然に私たちは展示室に入って行った。するとすぐに激しい色彩が私の目に飛び込んできた。300号はありそうなキャンバスに描かれた富士であったが、常識を覆すような色彩の洪水のように私には思われた。
 それが片岡球子の絵であると知ったのは、絵の迫力に圧倒されて引き込まれ、我にかえってようやく絵のタイトルと作者名を見た時だった。
 私は最初から時を忘れて絵の前に立ち尽くした。右側に鋭い青が立ち上がり、盛り上がる感情となって迫ってくる。するとその感情をなぎ倒し押し流すようなフォルムがあって、左の方、斜めに荒々しくえぐるような赤と白の躍動が飛び込んでくる。それがいかにも厳しい自然の力を思わせ、感情をかきたてる。そしてその感情が足もとに集められ、大地が盛り上がり富士を生み出して行く。そんな激しい運動が片岡球子の富士であった。
 ふと気付くと、画面の下の方に、花園のような柔らかな風景が軽いタッチで描かれていて、ホッと安息するのだ。それは大きな富士に対しては実にわずかは部分であったが、その小ささが人間の住む世界ではないのかと思われた。

 いつになったら私にこんな絵が描けるのだろうか。片岡球子の絵を前にして私はため息を漏らした。
 私はこのような大胆な表現をいつも夢見ながら、それを実現しようとする前に崩れてしまう脆弱さを持っている。片岡球子の絵には私には越えることのできない精神の峻厳さを感じるのだ。その迫力を私はただ羨ましいと思うばかりだった。
 私は富士から眼を放すことができず長い間立ち尽くしていた。本物の絵に出合うと、反発するよりものめり込み、取り込まれてしまう私は、そこに自分の絵描きとしての弱さを認めないわけにはいかない。そんな自分を甘いと思うのだ。
 里依子も長い間この絵を眺めていた。彼女はこの絵が好きですと言った。そして何度もこの絵を見に来るのだとも言った。
 そう言いながら絵を見やる里依子の姿には真剣な意思が伝わってくる。あるいはその引締められた容姿が、片岡球子の絵の厳しさと呼応して溶け込み、そこから清澄な空間を呼び起こすように思え、そんな里依子に私は尊敬のまなざしを向けるのだった。
 里依子は自分ではよく分からないと言いながら、本当のところでは絵をよく理解する人なのではないかと思うのだった。

何人かで美術館に行くと、たいてい私は気に入った作品の前で動かなくなる。相手のことを忘れて絵に没頭してしまう悪い癖があった。気付くと私一人が取り残されていることが常だったのだが、この日も私は片岡球子の富士の前で自分を失っていたのだった。それがどれ程の時間だったのか分からなかったが、ふと我に帰ったとき、里依子は私の横に立って熱心に絵を眺めていたのだ。
 それをどのように表現しても、その時の里依子の印象は語りつくせない。清楚で深く絵に通じる心を持っている人というその思いは、単に里依子の言葉からではなく、また彼女のしぐさだけからやってくるのでもない。
 それは要するに片岡球子の絵と、その前で身を引き締めて見つめる里依子の姿のその双方のかかわりの中から感じた私の一瞬の印象だったのである。そしてその印象は私の心に焼き付いて生涯忘れ得ないのではないかと思われた。
 こうして私たちは長い間片岡球子の前から離れなかった。疲れると長椅子に腰をおろして、心ゆくまで私たちはその幸せを楽しんだ。
 それから私たちはゆっくりと会場を巡って行くのだった。

森田沙伊の絵の前で里依子は、この絵は前に送った絵ハガキの画家だということを私に伝えた。私はそれをよく覚えていた。
 里依子から送られてきた絵ハガキの中の1枚が、森田沙伊の絵で赤い服を着せられた人形を描いたものであった。
 その絵ハガキを見た瞬間、内側からうごめくような生々しい生命力を感じたのであったが、今目にしている絵もまた、絵柄や色調は全く違っていたにもかかわらず同じ感覚を私に呼び起こさせた。
 画家が真実に近付けば近付くほど、どんなに異なった絵を描いてもその画家の描いた絵だということがわかるものだ。それは絵がそれだけ精神的なものだということを表している。どんな絵を描こうが、真実の真ん中を描けばそれは画家そのものの姿となる。
 逆にいえば、どんな絵を描いてもそれが誰の絵であるか一目でわかる絵は、その画家の最高の作品であるといえるのだ。
 森田沙伊の絵が本物であるという思いを、私はそんな風に話して里依子に説明した。里依子は嬉しそうにして絵に顔を近づけた。里依子の目には森田沙伊のグリーンの絵だけが映っている。その横顔が私には切ないほど愛おしく思えるのだった。

館内は人が少なかったために私達は随分ゆったりと絵を楽しむことができた。一枚の絵を胆のうするまで眺めると、私たちは自然に歩調を合わせて次の絵に向かって歩いた。その先に木田金次郎の絵があった。
「この人は有島武郎の『生まれいずる悩み』の主人公のモデルになった人です。」
絵の前に立つと、里依子はそう説明して私を見た。
 木田金次郎の絵は3枚掛けられている。その中で馬の絵が私の気を惹いた。高い山の裾野に広がった牧場で、時を忘れたように草を食んでいる数頭の馬。その背景の山から崇高な気配が漂い、その柔らかな色調は成熟した絵のように思われた。
 しかしその絵は、有島武郎の『生まれいずる悩み』を何度も読んでいた私が想像していた絵とはかけ離れていたために、ある種の違和感を抱かざるを得なかった。
 私のイメージの中には、若々しく荒削りで、力強い絵が私自身の絵の理想と重なるように存在しているのだ。描きたいという意思が生活と環境の圧迫によって、あたかもホースから水を飛ばすように、その圧迫が主人公の精神を激しく外に押し出そうとする。その力が働いて描きだした絵でなければならないのだ。しかしここにある3枚の絵はどれも静かにうごめいて丸かった。
 むろんそんなことを里依子に話すつもりはなかった。それよりも里依子に教えられた木田金治郎のエピソードが、それまで意識の外にあった有島武郎の小説を思い出させ、私自身の根の部分を光の中に引き出してしまったのだ。

有島武郎の『生まれいずる悩み』は、中学生の頃に読み、高校で再読し、成人を超えて絵を描き始めてから、行き詰った心に救いを求めて三読した。
 何よりこの主人公の、自然を有りのままに愛する姿に惹かれたのだ。そして少し成長してからは、生活に押し流されながらも、自分の内心の喜びをごまかすことの出来ない主人公に共感した。
 厳冬の雷電峠の雪原に踏み込み、雪に覆われた山に向い、食も忘れて激情のままにその山を写し取っていく主人公の姿が、私の絵に対する理想の方向を決定づけたと言ってもいいだろう。
 あるいは、裕福な友人を訪ねながら、その家からは顧客として扱われない主人公の心が鮮明に浮かび上がる。
 絵を語る時だけは対等思えた友人が暖かな夕餉に立って行ったあとに、一人残された主人公が雪山で食べなかった弁当を開き、凍てついてボロボロになった握り飯を口に運ぶ。パラパラと指の間からこぼれ落ちるのも構わずむしゃぶりつく己の姿に思わず涙を流し、友の家を逃げるように出ていく。
 有島武郎に君と呼ばれる主人公の心を、私はむせぶような暗愁の中で感じとっていたのだ。それは弱者として社会に押し流される悲哀と、屈することに対する己への怒りのようなものであり、いつしか私は自分の志の根源にその心を棲まわせていることに気付いたのだ。
 それにしても小説では君という呼びかけでしかない主人公が私の目の前で具現化し、思い悩む時代を通り越して成熟した絵を見せられた私が、言いようのない淋しさを感じるのはなぜだろう。
 私はまたしても心の中で一人、里依子を取り残しているのだった。

私の横で里依子は静かに絵を見ていた。絵に対する里依子の心のリズムはとても快いものだった。私は眼を細めて彼女を眺めやった。「濱風のなでしこ」伊藤整が根見子を表現した言葉が私の頭をよぎって消えた。濱風に揺れるなでしこのような人、私にとってそれは里依子に他ならなかった。
 館内は静かでまばらな鑑賞者が思い思いに絵の前に立っている。そんな雰囲気が心ゆくまで好きな絵を見せてくれた。そしてその傍らにいつも里依子がいた。
 美術館の1階は常設の展示で、いつでも好きな時に好きな絵に会いに来れるのだと里依子が言った。それは美術館にとっての大きな役割に違いなかった。
 2階には不安のイメージと題した版画の企画展示があった。私たちはとこにも入って行ったが、モノトーンの沈んだ画面が何枚も繰り返すように並んでいるだけで私の心は弾力を失った。里依子も無言のまま作品の前を通りすぎてゆく。私たちは次第に食傷していくようであった。
 それに連れて、里依子の風邪はなんだかひどくなっていくようで、私は又そのことが心配になり始めた。表に出しては言わないが、無理をしていると思うことが度々あった。逢ったときにはなかった咳が時々彼女を襲って、そのたびに里依子は目立たないように処理をした。

私は苦しそうに座っている里依子の額にそっと手をあてた。彼女は上目づかいに私を見たが、そのまま身を動かさなかった。里依子の額は火照るように暖かく、熱があるのだと思われた。私はこれ以上里依子を引きまわしてはいけないと、もう一度考えた。
 それに今夜、会社の上司の送別会があると言っていた。その会に彼女がどうしても出席しなければならないのであれば、今日これ以上彼女に無理をさせてはならない。
 それでも、その一方で私は里依子といつまでもこうしていたいという誘惑に抗することができなかった。里依子の横で絵を見ながら、葛藤が心を揺さぶるのだ。
 出来れば今日は夜まで一緒にいたいと思った。だが彼女の様子を目の当たりにしてそれを言い出すことができなかった。言えば彼女がその選択に苦しむだろう。淋しいを押して今日はこれで打ち切りにしようと私はようやく決心した。するとまた心が鉛のように重くなっていくのをどうすることも出来なかった。
 いつの間にか昼時が過ぎていた。私たちは美術館の2階にあるレストランで質素な昼食をとった。

体力をつけなくてはといって私は高価なメニューを勧めたが、里依子は安い一品料理を選んだ。そしてそれが私たちの最後の食事となるだろう。今度はいつ会えるだろうと思うと私は何を食べているのかさえ分からなくなる。
 食べながら里依子は有島武郎の話をした。彼はニセコを舞台にして小説を書いているんです。と里依子は言い、そして微笑んだ。
 ニセコは里依子のふるさとであり、その豪雪の地に生まれた彼女は色白で頬に淡く紅色を浮かべてよく笑った。初めて里依子に遇ったのは世を徹して走る列車の中であったが、やがて彼女が降り立って行ったニセコは闇の中に見えなかった。
 けれどもそれからの手紙のやり取りの中で、私は里依子を通して何度もニセコを
知ることになったのである。そしてその手紙の行間から彼女がどんなにニセコを愛しているかが伝わってくるのだ。
 ニセコアンヌプリ、マッカヌプリ、里依子の心の中にしっかりと根付き、彼女を育んで今もそびえている山の姿が私の意識に立ちあがってきた。
 「是非、有島武郎を読んでみてください。」里依子は私に言った。
 「きっと読みます。」
 咄嗟に私はそう応えていた。そしてまた、小樽と同じように、ニセコを訪れる日が来ればどんなにいいことだろうと思うのだった。

 

 

9里依子

 

道立近代美術館は私に大きな充実感を与えてくれた。それは束の間であったにもかかわらず私の心に強く残るものだった。そして何より、里依子の絵ごころに触れて私はいつま

でも忘れないだろうと思うのだった。


 「帰ろうか・・・」


 美術館を出て、私は迷いながら言った。里依子の風邪がひどくなるのを見て、これ以上歩き回るのは辛いだろうという思いやりと、いつまでも一緒にいたいという想いが交錯してどうしようもなく口をついて出た言葉だった。


 「じゃあ、帰ります・・・」


 しばらくためらった後、里依子が答えた。その声は大変小さく弱々しいものだった。彼女の表情はとても悲しそうでこわばっていた。
 そんな彼女を見て私は何かが胸を貫いて行ったように思った。
 里依子の答えを聞いて失望しはしなかったが、しかしその裏側で、「まだいいんです」と答えてくれはしまいかと願う自分を知っていた。そしてそれが実に利己的な事のように思えて、私はそんな自分に嫌悪するのだった。
 その時、自己嫌悪と里依子への未練が私の胸を一杯にしていた。

私が帰ろうと言ったのは、当然私も一緒に千歳まで帰ろうということだった。だが里依子の「帰ります」は私を含めてはいなかった。


 「私一人で帰れますから・・・」 


 暗い面持ちで駅の方に向かう里依子に並んで私も歩き始めたとき、彼女は私を見てそう言ったのだ。そのまなざしはとても悲しそうに見えて私は愕然となった。
 私は里依子の気持ちを量りかねて、自分が何をしようとしているのかさえ分からなくなってしまった。それほどに追いつめられた圧迫感を感じてなすすべもなかった。


 「とにかく私も千歳まで一緒に帰ります。」


 私はただそのように繰り返すだけで、他に何も思いつかなかった。訳も分からない理由を口走って私も一緒に行くと主張した。
 その反面では、そんな自分がいかにも惨めなもののように思われ、人前でそんな姿をさらけ出す恥ずかしさを感じていた。
 しかしそんな思いをなお凌駕して、私はただ里依子と今このように別れてしまうことを受け入れることが出来なかったのだ。

里依子は、一緒に行きたいという私の気持ちをかたくなに拒んだ。


 「せっかく来たのだから、札幌を見て帰ってください。」


 彼女はそう繰り返した。その時の里依子の表情に私は悲愴の影を見た。それが私の心をえぐるのだ。とたんに里依子の心が閉ざされたように思われた。たとえ私のことを慮って言ってくれた言葉であったとしても、私にはそれが言い訳のように聞こえ、そのたびに自分の胸を押し潰すのだ。
 とある交差点に差し掛かった時だった。里依子は急に立ち止まって、そこから見える山並に続く道を指差した。その指は透き通るように白くしなやかであったが、戸惑うもののように力を失っていた。


 「ここを行けば円山公園です・・・」


 彼女はそう言って、そこを見てくるようにと、哀願するように私を見た。言葉ではなく里依子の全身が、ここで別れようと言っているのだ。
 私はどう答えていいのか分からず、曖昧な表情をして帰り路を先立って歩き出した。取り残された里依子が私を追って駆け寄ってきた。

 

「私のために悪いですから、札幌の街を見て帰ってください。」


 一人取り残された里依子が小走りに私を追ってきて、哀願するように言った。私はそんなことはないと言い張った。
 「一緒に帰らせてください。」
 私はいくらかおどけた調子で言い、そんな身振りをして見せた。それを見て里依子は笑ったが、互いの心は張り詰めるばかりだった。
 「私のために悪いから・・・」
 里依子は何度もそう繰り返した。
 「私はいつも自分で一番大切と思う事をしているんです。今はあなたと一緒に帰ることが一番嬉しいのです。」
 追い詰められて私がそう言うと、
 「私は、残っていただく方が嬉しいのです・・・」と、うつむいて弱々しく里依子の声が続く。
 里依子の執拗な抵抗を受けて私はたじろぎ、やがてこれは一緒に帰っては困る里依子の側の理由があるのではないかと思い始めた。
 けれどもそれを里依子に云う勇気がなかった。その理由が、もしもあるとするなら、私には耐えがたいことのように思われた。そしてまた、このままここで別れてしまうことも、私には耐えがたい事なのだった。
 結局私は身動きできないまま、自分の気持ちを押し通す他はなかったのである。それが里依子を苦しめていると知りながら自分を責めても、どうすることも出来ない自分の姿を見て途方にくれるばかりだった。

そんな私を前にして、里依子はやがて悲しげに私が一緒に帰ることを認めた。どうして彼女が苦しそうなのか私には理解できなかったが、しかしこのように里依子を苦しめることしかできない自分に、熱い怒りのようなものを感じないではおれなかった。
 札幌の駅で預けておいた手荷物を受け取っている間に里依子は千歳までの切符を買って、それを私に渡した。その時の里依子を私はどのように表現していいのか分からない。
 それは鮮明に私の瞼に焼き付きながら、その姿は私の理解を踏み越えたものだったのである。
 切符を持った手を私に差し出したまま身を固くして私に近寄ってきた。そのぎこちない姿は悲しみを通り越した諦観のようでもあり、恥じらいの姿のようでもあり、あるいはまた、私を憐れむ姿のようにも見えた。
 そんな里依子が怖いもののように思え、あるいはいじらしいもののようにも感じられて、私はただ曖昧に笑ってそれを受け取るしかなかった。

私はそんな里依子を見て、どうして彼女がこれほど私が札幌に残ることに執着したのかどうしても理解できなかった。一人で帰りたいというどんな理由があるのだろう。私は電車の中でそんなことばかり考えていた。
 札幌から千歳に向かう列車の中で二人の間には重苦しい空気が流れ、互いに口を開こうとはしなかった。ただ列車だけが動いて車窓の風景が白々しく流れてゆくのだ。私は虚ろに走り過ぎる景色を見つめるばかりだった。私たちは二人並んでいつまでも無言で立ち続けた。
 しばらくして里依子が黒いショルダーバックから文庫本を取り出して読み始めた。誘われるように私が目をやると、その本は私には見慣れた伊藤整の『若い詩人の肖像』だった。私が伊藤整の記念碑を求めて旅している間に、里依子が書店で買い求めて読んでいると話してくれた本なのだった。
 いましがた、心の行き違いから二人の間の隔たりを意識していた私の心が再び彼女を近くに感じて、急に心がほぐれていくのだ。

里依子につられて、私は持ってきた伊藤整の詩集を取り出して開いた。そこには『忍路』と題する詩があって、私は言葉少なにその詩を里依子に見せた。
 昨日忍路の話をすると、そこにはまだ行ったことがないと言い、近くにそんな素晴らしいところがあるなんて知りませんでしたと嬉しそうに応えたのだった。その彼女の声があまりに印象的であったために、私はとっさにその本を里依子に差し出したのだ。
 里依子はそれを受け取り、その詩を目で追った。『忍路』の横に『Yeats』という詩が並んでおり、それを見た里依子は私もイエーツを大学でやりましたと、淋しげに弱々しい笑いを交えて応えた。
 どうしてこうなってしまったのか、里依子との会話はただ悲しみを呼び起こす。
並び立つ彼女の横顔は、私には理解できない淋しい翳りがあって、それはほんの数時間前の美術館で交わした笑顔とは正反対のものだった。

しばらく私たちはそれぞれの本に見入っていた。
 私は詩集の文字面を辿ってはいたが、読むことなどとても出来なかった。心を本の上に留めておくことが出来ずに、もうこれで里依子と会えないのかという思いばかりが繰り返す浪のようにやって来る。
 里依子が私と一緒に帰るのを拒んだのは、あるいは私が彼女の寮まで未練たらしく付いて行くことを嫌がったのかも知れない。
 いろいろに考えあぐんだ末に私はそう思いいたった。千歳の駅で別れよう。別れ際に握手をして、せめてその手の暖かさを感じていたい。柔らかな手に口づけをして逃げるように里依子から離れよう。そんなことばかりを、私は本の文字を追いながら考えていた。
 ふと里依子のため息が横合いから聞こえ、その時々に私は心をかきむしられるように感じた。にもかかわらず私は里依子を正面から見ることが出来なかった。

満員の列車の中で、私たちは通路に並んで立っていて、わずかに肩が触れ合うことがあった。すると里依子の温かさがそっと私に届いた。そのたびに彼女は静かに身を離した。私もまた、それを追おうとはしなかった。身を固くして吊皮を持った手を握りしめるばかりで、ただそんな里依子を淋しくあるいはいじらしく感じるのだ。そして今度は私が深いため息をついて本から目を離すのだった。
 車窓からは相変わらずの雪原が私をあざ笑うように流れて来て私の眼を彷徨わせる。
 やがて里依子も本を読むのをやめ、その窓を眺めている。私はそれを横合いに感じながら、愕然として彼女を見た。
 里依子の顔はまるで泣きはらした後のような悲しい顔をしているのだ。目が赤く涙に濡れているように思われた。
 いったい何がそんなに悲しいのだろうか。何が彼女をそんな風にさせてしまうのか。私はそんな彼女にかける言葉さえなかった。私は何も知らない木偶の坊でどうすることも出来ず、気付かないふりをして本に目を戻した。胸が張り裂けるようにガリガリと何かが渦巻いていた。私はただ抗するように身を固くして立ち尽くすしかなかった。

もう私たちはだめなのかも知れない。そういう思いを打ち消すことが出来ずに私は自分の心を苦しめた。それでもこの列車がいつまでも千歳に着かなければいいと思うのだった。私には何より彼女の傍にいることが重要な事のように思われ、どんなに胸を焦がしてもこのままいつまでも立っていたかった。
 しかし列車は千歳の駅に止まった。私たちは重苦しい気持ちで列車から降り、駅舎から出た。

 「寮まで送りませんよ。」


 私は振り向いて里依子にそう云うと、彼女は嬉しそうな顔をしたように見えた。それが私の胸の暗い部分をガンガンと打ち鳴らした。私はもはや彼女と一緒にいることも出来ないのだと思った。
 駅舎を出てすぐの街角に立ち止まり、私はじゃあと言って里依子に手を差し出した。


 「これでもう会えないんですね。」


 里依子はそう言って私の手を取った。
 ちょうどその時、子供を連れた老人が通りかかり、里依子に声をかけた。まあ、と言って里依子は私の手を放してその老人の方に歩み寄った。偶然会ったごく親しい人のようで、老人が早口で近況などを語り始め、里依子は笑顔で応えるのだった。
 私はしばらく二人の会話を見ているしかなかった。私たちはまださよならの言葉も交わしていなかったのだ。
 それに気付いた里依子が振り向いて「じゃあ、さようなら。」と言った。
 「それじゃぁ、元気で」
 私はそれだけ言うと里依子に背を向けて歩きだした。

 私は歩いた。どこに行こうなど頭には何もなかった。ただ私の前に真っ直ぐに伸びて行く道があった。私は降りかかってくる重苦しく悲しい思いを振り切るように必死で歩いた。
 もしや里依子が追いかけて来はしまいかと、そんな思いもあったが、私はもう振り向くまいと決心した。そしてただ歩くのだと思った。こうして必死で歩いているうちは、自分に歩くという目的を持たせておくことができるのだ。歩くために歩けばいい。
 しかしいくらも行かないうちに、私は我慢できなくなって後ろを振り返った。たとえ追いかけてこなくても、まだ私を見送っているかも知れない。
 そこにはもう里依子の姿はなかった。
 私は再び、激しい気持に押されるように歩き始めた。彼女に対する怒りに似た気持ちも幾分あっただろう。けれどもそれは一瞬のひらめきに過ぎなかった。私はそのように憎む事も出来ない自分に腹を立てた。
 そんな自分をアスファルトの道に踏みつけるようにして進み、自分の気持のすべてをつま先に集めて足を踏み出すのだ。

やがてこの道が支笏湖に続いている国道だと分かった。支笏湖まで25キロという道路標識を見たとき、私は真っ先に里依子のことを思った。
 支笏湖は紅葉の深い秋晴れの日に、里依子が同僚達と一緒に闊歩したところであった。そのどこかに発電所の高台があって、胸に可愛らしい動物のイラストが入った白いセーターを着た里依子が支笏湖を背にして立っている。一枚のスナップ写真が届いたのはいつのことだったか。以来私は毎日机の上で里依子と支笏湖を見続けてきたのだ。
 私は再び歩こうと強く思った。行けるところまで歩いて、日が暮れたら帰って来ればいい。決して行きつきはしないだろうが、自分の足で澄み切った支笏湖に一歩でも多く近付きたい。
 激しい気持ちの高ぶりを足の裏から放出するように、私はぐんぐん歩き始めた。すると気持ちが少しずつ和らいでくる。
 しばらく行くと、小さな庭園が見えてきた。何気なく心をくすぐられて立ち寄ると標識に成吉思汗の庭園と書かれていた。
 そこはすぐ横手にある喫茶店の所有であるらしく、当店利用者の方のみ自由に入れます。という立て札があった。
 店に入り、庭園に入りたいのだがと伝えると、前掛けをした主人があっさりいいと言うので、私は喫茶店を利用もせずにその庭園に入って行った。
 庭園は千歳川の清流を引き入れて池をつくり、そこに島をかたどった築山をいくつも並べたもので、その島と島の間には思わせぶった橋が架けられていて歩いて島巡りが出来るのだった。その小さな橋に雪が降り積もっていた。

アヒルが数匹人なれた様子で遊んでいた。その水底にはたくさんの魚が泳いでいた。ウグイや鱒だろうか、その姿は鋭く、無駄のない動きが若々しく思えるのだった。
 雪解けの冷水の中で魚たちは溌剌とその体躯をしならせ、素早い動きを見せている。なんだか私まで自分の体が引きしめられて行くように思われ、私はしばらくこの魚たちの泳ぎに見とれていた。
 庭園を一巡するとすぐそばに千歳川が柵越しに見えた。その流れを見ているうちに、私はこの庭園の造られた島々がなんだかつまらないもののように思えて、私はあとも見ずに庭園を出て再び歩き始めた。
 そこからはいつも千歳川が左手に見えていた。その流れを遡って支笏湖に向かうアスファルトの道を私はもう何も考えずに進んで行った。
 千歳川はぐんぐんと流れ、厳しさと清らかさと、そして若々しい雪解けの水。その姿は今まで見たどんな川よりも美しいと思えるのだった。
 急流と蛇行、そして岸辺の枯草。葉を落とした落葉樹の姿が雪景に黒々と浮き上がり、すべてが調和して千歳川の自然を作り上げていた。

流れる水は冷たく澄みきっていて、人を寄せ付けないような厳しさが感じられた。その水の中に一切の無駄を取り除いた魚たちが黒々と身を引き締めて泳いでいると思うと胸が熱くなってくる。夕陽に映えて白く輝くさざなみのその水底にまで感覚が及んで、私は涙ぐむほどに心を動かした。そして同時にこの千歳川が、今しがた別れて来た里依子に似ていると思うのだった。
 その時川の中央に黒いものが見えた。私はそれをクマだと思った。そう思って見るとクマが無心に魚を獲ろうとして川底をじっと見透かしているように見え、今にも魚をつかみ取ろうと両手を構えているように思われた。
 それを確かめようと近づいたが、道路から向こうは深い雪と雑木近寄れずに確認できない。先を進めば川は杉林に隠れてしまった。
 杉林はすぐに切れて再び川が見えてきた。その川の対岸には釣り人が糸を垂れている。するとあれはただの岩だったのかとすこし残念な気持ちになった。
 もしあれがクマだったら・・・、そう思うと、クマと人間が隣り合って魚を獲ろうとしている姿が浮かんできて私の心を和ませた。
 川は寄り添い、大きく身をくねらせて遠ざかったと思えば近付いて、軽妙なせせらぎと岸部の活気ある光景を見せてくれた。

私の心は少しずつ和んで行った。千歳の自然はたわいない激情には取り合わず、逆に心を和らげて体を開かせてくれるようだ。 
 私は自分がこのように自然の中に抱かれてしか生きてゆけないような、甘えん坊のように思えた。社会の中で私のようなものは弱者に違いなかったが、しかし私の本心はここにしかありようがなかった。私は自分を惨めな人間と認めたくはなかったが、しかしだからと云って心を欺いて、苦痛を与える生き方は出来ないのだと自分に言い聞かせた。
 どんなにみじめなことでも、自分をすべて認めて受け入れたら自然は私を取り巻いて優しく包んでくれるように思えるのだ。
 かなり歩いたと思う頃に橋があって、そこから一本の支流が合流していた。内別川と知れ、橋はその川に架かっているのだ。その川は、たった今蛇行して遠ざかった千歳川の半分もない川幅をしており、千歳川とは対照的に静かでのんびりと流れていた。両岸から常緑の雑木が茂り、青葉に埋もれるようにひっそりと眠るように横たわっていた。
 その流れは私の心までも静かにしてくれるように思われた。

太陽はいつしか西端に傾き、弱々しい日差しに変わっていた。潤んだ太陽の下には頭を平坦に切り落とされたような林がどこまでも続いていて、灰色に煙っていた。そして私の背後には千歳川が流れている。
 私はとにかく日が暮れるまで歩いて行こうと決心していた。千歳川を遡りながら支笏湖に向かう国道には民家が思い出したように点在するだけで、夕暮れがふと心ぼそさを持ってきた。
 もう民家も尽きるかと思われる頃にまた一軒見えてくる。そして道はまっすぐ通っていて、時折車がアクセルをべた踏みにしてすっ飛んで行く。
 歩いているのは私一人で、他に人影はなかった。そんなとき空のタクシーがそっと私の近くで速度を落として私の気を惹こうとした。私はほっとしながら、わざと目をそらして歩き続ける。タクシーは怒ったようにスピードを上げて私を置き去りにした。
 やがて夕暮れの薄靄が立ち込め、車の往来もまばらになった。西日が山端にかかり始めたころ、私はちょうど千歳川に架かった橋の所までやってきていた。それは千歳川と交差する最初の橋であった。
 その橋は『烏柵舞橋』という名が付いており、同じ名前のバスストップもその橋のたもとにあった。
 私はそれをどう読むのか分からなかった。誰か人が通りかかったら訊ねてみようと一瞬思ったが、口をきくのが疎ましく、会話が辛い事のように思えて結局その呼び名を知らぬまま佇んでいた。
 私は橋の中央の欄干にもたれて川の流れを上から眺めた。その流れをさらに上流へと追って行けば、その視野に尽きる彼方の山並に今太陽が土色にほてって沈むところであった。そしてそこから流れ来る川の面に最後の光線を反映させていた。
 私は自然に自分の視線を川の流れに任せていた。流れと共に橋の袂まで来た視線はさらに下流を求めて、橋を横切り私を向い側の欄干に連れて行き、しばらくその川の細かに輝く波頭を眺めていた。キラキラと踊る光が私の心を魅了してしばらく私は自分を忘れていた。 
 私はここで引き返そうと思った。ちょうど最終のバスがまだ残っていた。私はそれに乗って千歳のホテルまで行こうと考えた。

長い間私は橋の上にいた。通りかかる車はみな私を不思議そうに見やって通り過ぎた。他に人影はなかた。この時間に私の姿は奇異に思えるのだろう、辺りは寂として暗闇が圧力のように覆いかぶさってきた。せせらぎだけが私と共にあって、そっと囁くように聞こえている。
 その囁きが忘れかけていた里依子への想いを呼び起こし、またそれが大きな胸のつかえとなって私を苦しめ始めた。
 急に気温が下がり始めているようだった。私は身を震わせてブレザーの胸元を合わせた。そしてスケッチブックを開いた。
 私は心に湧き上がってくる激しい気持ちをなんとかスケッチに留めようとした。それはふと有島武郎の『生まれいずる悩み』を思わせ、美術館での里依子との会話と、透き通る笑顔を思い出させた。
 私はそんな思いをふるい落としてスケッチブックに向かった。どうにかしてこの千歳川を自分のものにしたかった。ペンを取り出し夢中でそれを写し取ろうとした。
 しかし私の思う千歳川は私をなぎ倒すほどの力強い線が必要だった。それをつかみ取ろうと必死でペンを動かしたが、逸る気持ちが私の技量を越えて先走り、悔しい思いばかりを募らせた。
 私の描きたいのは生き生きとして清らかな力強い姿だった。しかし私はどうしても静かな、死んだような千歳川しか描けなかった。私はそんな自分に腹を立て、八つ当たりして桟橋をこぶしで殴った。そしてそのあとで淋しい自分を発見するのだ。

私はどうしても自分の気持ちを表現できなくて胸のつかえを取ることが出来なかった。そしてこの私の気持ちは、こんな小さなペンの細い線では捉えきれないのだと思った。
 それが自分に都合のいい逃避であることは誰よりもよく知ってはいたが、それでも私は抱きかかえるほどの筆がほしいと考えた。私はその巨大な筆を千歳川の流れに浸して、真黒な墨をたっぷりとその穂に含ませ、思いの果てるまでこの雪原に描線を描いてみたい。それはきっと素晴らしいに違いないだろう。私の空想はあたかも大地を揺るがすような表現となって夢の中に表れた。
 だが現実は貧弱な私の絵がスケッチブックの紙の上に張り付いているばかりで、それはただ哀れを誘う一枚の紙切れに過ぎなかった。
 その悔しさのはざまから幾らかの詩句が浮かんで来た。私はいさぎよくスケッチをあきらめ、浮かんでくる詩句をスケッチブックに書き留め始めた。詩は私の良し悪しが分からず何のためらいもなく、ただ流れ出る詩句を速記のように写し取るのだった。ちらりとその稚拙さを思ったが、そんなことはどうでもいい事だった。私に必要なのは、張り裂けんばかりの心のうねりを外に吐き出すための表現だったのだ。
 スケッチブックになぐり書きした詩句は数ページに及ぶ次のようなものだった。

 

雪解けのぬかるんだ街を
 一直線に貫く道を
 重いおもい心が歩いてゆく
 今しがた別れた人を振り返りもせず
 ああ私は何をそのように急ぐのだろう
 急いで 急いで
 崩れゆく自分を一歩一歩青ざめた道に敷きつめていくように
 明日を持たないもののように。
 やがて
 千歳川が私に近づき
 この清らかな流れに そのせせらぎに
 私は次第に心奪われていくようだ。
 大きくしなった体躯はいかにも厳しく
 黒々と並ぶ水際の木立さえもが
 寂寂と切り詰められているではないか。
 水底には身を固く引き締めたウグイや鱒が腹をこすっているというのに
 川はますます清らかになって
 ああ それがあまりにも女に似て 
 私は嬉しいのやら悲しいのやらわからなくなってくる。
 川よ
 お前はどうしてそんなに冷たく流れ去って行くのだ。
 どうしてそんなに とうとうと流れてゆくのだ。
 たまらなくなった私はお前を遡る。
 歩いて、歩いて、力尽きるまで歩いて
 弱々しい西日が山端を指して静かに消え入る頃
 私は川を渡る初めての橋の上。
 さざなみをすくい上げるように眺め
 心からの涙を川面に落とせば 
 ふるえる体を止めることもできずに疲れ
 倒れかけた
 バスストップの赤く丸いもののそばで
 いつまでも 
 いつまでも待ち続けていた。

 

 

溶け始めた北国の雪の
 身を切る水をなみなみとのせ
 千歳川は女のように身をくねらせる。
 白と黒の激しい対比が心にしみては
 暗緑の川面の
 丸く突き出た対岸から
 うすい夕日を受けて白々と波が息づくようだ。
 絶えず囁き 絶えず静まり
 ああ 私の心をあやしくとらえ
 とらえては立ち去って行くけがれなき水たちよ
 お前は黙々と
 どこに行こうとするのだろう。
 その胎内には力強い魚影がかすめて
 凛凛と引き締まっているというのに
 私はオロオロとふやけ 限りなくほどけて
 消え入ろうとしている。
 夕暮れが覆いかぶさって冷たい風が服をはためかせると
 風はお前に
 いかにもふさわしいというのに
 私は身を縮めてお前を羨望する。
 ああ 千歳川よ
 清らかで美しく
 峻厳として優しい千歳川よ
 この澄み通った春先の水を
 かたくななまでに取り澄まして運ぶ千歳川よ
 思い余ってお前に
 入水すれば
 その不浄が一瞬にしてお前を汚してしまうだろうか。
 それとも
 屍を澄んだ流れに乗せて私を冷やし
 静かに海へ運んでくれるだろうか。
 私の生涯の誇りであったふるさとの川が
 お前を見て
 こうも厳しく色あせてしまった今。

 

こうして詩句を連ねているうちに私の気持ちはいくらか楽になってきた。走り書きして、読み返してみれば同じことを繰り返すだけのつまらないものに思えたが、それでもそれは崩れそうな自分の気持ちを離れた目で見せてくれたのだ。
 自分が主人公のドラマを見ているような気分と言ったらいいだろうか、そんな醒めた目で見て、私は幾分後半の詩句よりも前半の詩句の方がいいと思った。後半の詩句はどこか無理をしていて、自分の本当の気持ちではないように思えた。あるいはそれは、沈みゆく自分の気持ちを盛り上げようとする力が働いて、自分を飾り立てたのかも知れないと思い、私はその虚飾を自分に許した。
 寒さが体の芯まで沁みとおり、私は何度もブレザーの胸元を引き締めて重ね、腕を組んで背中を丸めた。
 バスはなかなかやって来なかった。
 しかしやっと来たバスに乗り込むと、ホテルまでは一駅程の距離だった。バスは実にあっけなく私をホテルに運んでくれたのだ。
 そこは初日に泊まった同じホテルであったが、私の気持ちは大きく違っていた。 今の私にはただ苦い胸の重さだけ肩を落として佇むしかなかった。部屋の中でどこにいても落ち着かなかった。私はまだ、自分の未練を持て余していて見えもしないのに窓から里依子の寮の辺りを眺めたり、あるいはそうした自分を恥じたりもした。

 

北国の街のかりそめの部屋で
 ああ あなたは今頃
 私のことなど忘れているに違いない
 つい今しがた
 微かに触れあった肩から
 ほのかな温もりが私の心に沁みとおり
 暗い底からキューキューと泣くのだ。
 静かにしていると
 その泣き声が一段と大きくなって
 私は思わず立ち上がる。
 するとその足もとから
 何をすることもない自分に
 また気付いたりして。

 所在なく落ち着かない私の心に、ふとまた一連の詩句が浮かんできて、私はそれも書き留めた。
 書きながらこの詩句は私の気持ちをうまく表しているように思えた。それを繰り返し読んでみた。私の心はスケッチブックに書き留めた言葉と共に揺れた。そしてこれはきっとよく出来ているに違いないと考えた。
 すると「お前さんは詩人かね?」と自分をあざ笑う声が聞こえてきた。私は奮い立って「いや、俺は絵を描いて見せる。」と即座にその声に応えた。
 だがその気持ちはすぐに萎えて私は悄然とうな垂れるしかなかった。

私は思い余って外に出た。まだ夕食をとっていなかった。暮落ちた街角に立って私は自分の未練と知りながら、初日里依子が私を連れて行った居酒屋を探そうと思い立った。しかし里依子にばかり意識が集中していたのだろう、周りの記憶がほとんど無くて私は夜の千歳の街をあてもなく歩き回るばかりだった。
 そんな自分を惨めったらしく思いながら、それでももう一度里依子に会えるかもしれないと考えてしまう自分をどうすることも出来なかった。そしてそんな自分を嫌悪するのだった。
 やがてその店が目の前に現れた。けれどもせっかく探し当てたその店に私は入っていくことが出来なかった。
 里依子の面影の残るこの店で一人座っている事は、いざということになると急に私には耐えがたい事のように思われた。
 あるいはこの中に里依子がいるかも知れないと思った。上司の送別会があるというその席がこの店であったなら、里依子はきっとここにいるだろう。もしそうならそこに入っていくことは一層私には苦痛だろう。
 結局私はそれを探し求めながら、その前で戸惑い、尻込みをして逃げだしたのだ。そしてその近くの居酒屋に入った。白樺という看板が目にしみた。
 中には客が一人もいなかった。それから長い間、新たな客が入って来る様子もなかった。カウンターの二人の女性がそろって私の前にやってきた。

私があまりに黙りこくって沈んでいることに彼女たちは興味を持ったらしく、少しずつ私から何かを聞き出そうとした。私は生返事をするばかりであったが、二人の質問は控え目で質素に感じられたためにそれが疎ましいとは思わなかった。
 酒が入ってくると次第に心がほぐれ、彼女たちの柔らかい語り口に引き込まれて私はいましがた目にしてきた千歳川のことを話し始めるのだった。
 他に客もないので私たちはそうしてたわいない話を続けた。
 「北海道を離れたいと思ったことはない?」
 私は真顔で彼女たちに聞いた。すると二人はそんなことは思ったこともないと笑顔で応えた。私はまた淋しい気持になった。そしてそれからほとんど黙したままで飲んだ。思わぬ深い酒だった。

 次の朝、もう里依子からの連絡は望めなかった。その代りに雪が降った。何やら靄が掛かってきたかと思ううちに、遠くの方から雪がやってきて次第に吹雪になって来た。それが半とき続いてぴたりと止んだ。
 それはなんだか里依子が雪になって私にさよならを言っているようだと思った。
するとまたたまらなくなって、私は今どこにいるのかも分からなくなってくる。ここには里依子の他には心の拠り所がないように思われた。彼女と会えなければどんな風景も意味を失ってしまって、私はただ哀切に身を漂わせるだけであった。
 今日一日時間はあったのだが、私はこれからすぐに帰ろうと思った。

フロントに電話をして一番の飛行機を予約した。
 いまだに帰ろうという気持ちと、このまま時が止まってしまったらいいと思う気持ちが相克していた。私の中には、里依子がどんな風に思っているのかという疑問が残っていて、一体何のためにここにやって来たのかと反問する。
 しかしすぐ後で、これはきっといい事なのだ。と考える。答も目的もいらない。必要なのはただ心のままに動く事なのだと。
 するとまたすぐに、里依子は今頃私のことなど考えてもいないのだろうと思うのだ。思考がくるくると回っていた。
 私のこの3日間は何だか夢のようにも思われた。はっきりと確かなものは何一つ残っていない。不安定な情念の流れが私の胸を駆け抜けていっただけではなかったか。これから私はどこに行こうとしているのだろう。
 よく分からないままに不安は募り、不安よりも息苦しさが増し、息苦しさよりも悲しさが溢れ、ぎゅうぎゅうと締め付けられる心が痛い。
 私はそんな風に思い悩んでは機内の窓から外を眺めていた。空は抜けるように青かった。心がふっと広がり、知らないところで明日の日差しを感じた。
 やがて飛び立った飛行機の下に、雪にまみれた千歳の街が急激に視野に広がり小さくなってゆく。その家の群れの中のどこかに里依子がいるのだと、私は思った。

 

 

 

                  完